投稿者:福村 徳三郎(昭和42年 農学部農学科卒)
若いときには誰もが大冒険に憧れるものですが、私も例外に漏れず冒険を試みました。昭和39年(1964年)、私が20歳のときに、何か冒険を経験しておこうと思い立ち、日本横断徒歩旅行を計画しました。
友人の小笠原政道君と二人で天竜川河口の太平洋から姫川河川の日本海まで、400kmの旅に炊事道具を背負い寝袋をかついで出発しました。
二人の意気込みとは裏腹に、現実は厳しく、初日から3日間は雨、4日目に静岡県と長野県堺の青崩れ峠では、雨は上がったもののヤマビルの大群に襲われ、20~30ヶ処に吸いつかれ、慌てて峠を逃げ下りました。
4日目以降は好天に恵まれましたが真夏の炎天下、二人とも元気なく無口で必死に歩きつづけました。
それでも伊那の駒ヶ根で見たホタルの大乱舞・遠山郷上村で夜中に見た空すべてが星という景色・大町市や白馬村から見た北アルプスの雪山などの景色にも出会いました。
このような絶景以上の経験もさせていただきました。
全て野宿で旅する覚悟でいましたが、佐久間町西渡・水窪町辰ノ戸・伊那郡上村・飯田市・駒ヶ根市・塩尻市で親切な人たちの厚意で宿泊させていただきました。
現代と違って、当時はひとの心が暖かかったのか、本当に親切にしていただきました。
又、私たちが背中に静岡大学の学生である表示をしていたので、信頼をしていただいたのかもしれないとも思っています。
全行程400km、14日間の苦しい旅でしたが、達成感やら、美しい景色やら、人のやさしさやら、静岡大学の信用やら、豊かな想い出の冒険でした。