【第11回】 古希を迎えてからの想い

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投稿者:平野 茂樹(昭和39年 工学部電気科卒)

私はいま、古来稀なる齢(よわい)を越えています。職業の無職の欄に、抵抗なくチェックできるようになっています。

肩書がなくなってから不思議な心境を発見しました。それは、まだ将来進むべき道の決まっていない学生時代に感じた心境に似ています。とても自由に発想し、考えたり、行動したりできる開放感です。

職につき、組織に属し、役割を持って懸命に過ごしてきた40年近い期間では味わえることのできない不思議な思考の開放感です。

特に両親を見送って、親の生の視線を受けなくなってからは、この開放感がひと際大きくなっています。

ただひとつだけ学生時代と違うのは、将来への可能性のある時間を沢山持つことが許されていないだけのことです。

こんな心境の中で、また新たな発見もしました。それは、この開放感の中で考え行動する事柄の間口の広さについてです。

小中高プラス浪人、大学というそれぞれの学生時代の生活で触れ合った人たちと五感(五覚)をフルに使って、話し合ったり、考え方に触れ合ったりした事柄の間口の広さと、それはほぼ同じ大きさだと言う発見です。

そのことに気づいた時、ある後悔の念、取り返しのつかない失われた四年間を知り無念さが込み上げてきました。これは私だけのことかもしれません。

何故、二十歳前後のとても大切な時期に静岡大学という総合大学(ユニバーシティー)に入学したのに、工学部と言う単科大学(カレッジ)環境の中でのみ生活してきたのだ!

人文学部、教育学部、理学部、農学部、(当時情報学部はなかった)で学んでいた多くの仲間がいたのに!

しかも、なぜ卒業してまで、懲りずに単科同窓会を続けているのだ!

いまの現役の学生さんに言っておきたい!

是非、存分にユニバーシティー環境の中で短い学生時代を送ってください!

それがあなたたちの将来の行動の間口を大きくします。信じてくださいと。