投稿者:杉浦 雅樹(昭和47年人文学部経済学科4回卒)
卒寿を迎えられた高校時代のクラブ顧問でもある恩師(数学)が、終の住み家として熱海の地を選ばれ名古屋から転居された。10年ほど前、私学の理事長などの職を辞されてからも、その知的で文化的な意欲は衰えることはなかった。油彩画を描かれはじめ、図書館に通って日本の近現代史を研究されるようになられた。
5年ほど前だったと思うが、明治維新と第二次世界大戦における国家体制変化や大きな価値観の転換が国民に与えた精神的変化と両時代のその影響の類似性について、自説をお聞きしたことがあった。庶民の暮らしの変化や社会的事件などを調べられて、「比較歴史学的に言えば大変よく似ている。」ということだった。
恩師は、体験した教育現場で、明らかに、わが母校の高校生の気質が変わったと感じられた時期があったともおっしゃられていた。それは、学生運動の嵐が、高校をも巻き込んだ後、70年代後半に現れたそうだ。「良い子が多く、とても従順だが、自己の意志がはっきりしない生徒」と表現されていた。聞いていた私自身の「平和(平穏)ボケ」を反省させられた。恩師から見れば若輩だが、「初老」「実年」「アラ還」の私も何かしなければとの思いを持たされた。師はいつまでも師である。
最近の表層的な週刊誌的報道や、ネット特有の「いいね」求めの、ブログやツイートなどが、ますます物事の本質を認識しにくくしてしまっているようだ。若い人が、状況と自己との関係性の中で得るべき主体的で自由な「アンガージュマン〈engagement〉(サルトル)」的な思いを持ちにくくしてしまっているのではないだろうか。誰もが、たとえ何もコミットしなくても、状況に影響を与えてしまっていることに気付けなくなっているのではないか。
東アジアをはじめとする国際関係の方向や憲法改正について政治家の論議がされる中、単に、平和だとか9条問題だけでなく、このグローバル化し多極化した世界の中、日本のあるべき姿について、老若男女、とりわけ若い人たちが大いに主張し、議論し、騒がしくなってほしいものだ。
『変わるか変わらないかより、先ずは、係るか係らないかだ』ということではないだろうか。