投稿者:小野 貞夫(昭和37年 農学部林学科卒業)
天竜川中流の大千瀬川で鮎友づりを教えてもらったのが約50年前であった。
それ以降、静岡県各地を転勤し、東は河津川から西は都田川まで釣行したものである。
昭和45年~昭和55年頃には毎回2桁の釣果であったが、家を静岡市内に構えたここ10数年は、1桁止まりのことがほとんどである。
初夏の頃には、スイカに似た香りを放ち、「香魚」といわれている鮎は、日本・韓国・中国に生息しているが、鮎友づりは日本特有の釣り方であり、日本全国のファンは約1千万人ともいわれている。
鮎は初夏の頃から川底の石に付着する珪藻を食しながら川を遡上する。
鮎はこの珪藻の付着した石を「ナワ張り」とし他の鮎がその石の珪藻を食そうと近寄ると体当たりして追い払うという習性がある。 この習性を利用して鮎(オトリ)の尻尾近くに針(カケ針)をセットし、野アユの(ナワ張り)にオトリ鮎を導き、体当たりする野アユをカケ針に掛けるのが鮎友づりの仕組みである。珪藻を食された川底の石は黒く光って見える。
釣人は偏光ガラス入りメガネを用いてこの黒い石を捜しながら釣行するのである。
鮎が掛かった時は、竿先に微妙な当たりに続いて強力な引きがあり、時には20m位下流まで引っ張られた後、タモに収めるのである。
この掛かった瞬間から、タモに収めるまでの1分に満たない時間は、鮎とのゲーム・スポーツ感覚で対応するのである。
この鮎友づりは江戸時代に狩野川で考案されたというが、最初にこの釣り方に成功した人はどのような思いだっただろうか。
この鮎友づりという釣り方がいつまでも続くように、鮎の良好な生育環境や水質の維持・保全が図られることを願うとともに、自身もこれに向けて努めてゆきたい。