投稿者:和田 秀樹(昭和46年 理学部地学履修コース卒)
現在の理学部教員には、静大出身の教員も10名弱おり、私と奥野さん以外何れの方も現在の完成した大谷キャンパスしか知らない方々である。東名高速が建設中の時代に入学した1967年は、教養部大谷移転という時期で、1年生だけが完成した現在共通教育棟のA,B,Cの3棟しかない、それも工事中のキャンパスに入学した静大化石の様な人種です。教養部の周辺は、雨が降れば靴は泥だらけ、定年坂は泥水が土石流を作り坂道を流れ落ちる。この時代の写真は、理学部B棟1階のキャンパスミュージアムの展示室に写真がある。2年目には、理学部棟A棟、B棟が完成。しかし、泥だらけの道は未だ健在、実験に差し障ると言って、土足厳禁、玄関の下駄箱で上履きに履き替えていた。現在の工作センターは、理系食堂としておそめちゃんが食券を売っていた。
私は、学生の時から放射性炭素年代測定という合成メタノールによる液体シンチレーション法を習い、いまでもそれを金魚の糞のように続けている。地球科学という分野では、いろんな年代測定法が見つけられ、およそどんな時間尺度であっても精度は別としておおよその見当が付く。人は時間に対してどれほどの、感覚を持っているのであろうか?私が、時間感覚に対して大様であることは自身気づいているが、これは決して、放射性炭素の研究をやっているがための誤差に起因するわけではない。
進化する生き物は、遺伝子の変化があるが故に姿形も少しずつ変化する。おそらく、人類が生まれてからの宇宙や太陽活動が大きく違わなかったのであれば進化速度は一定であろう。最近、日常の現代文明の進化速度というものがあるとすれば、どうも速度一定ではなく加速度が一定かもしれないと思うほど、何もかも著しく変化する。私が、1988年サバーティカルを頂いて、米国テキサス州立A&M大学というレコード会社のような名前の大学に1年間滞在することができた。日本では、ファックスという便利な道具が使われるようになり、せっせと使ってテキサスに出かけたが、彼らはこの便利なものを使っていない。その頃からテキサスではメールの時代に突入、みんなが使っているマッキントッシュを手に入れ、1年後帰ってからマックユーザーになり、使い始めて文章を送るならファックスより便利なことを知った。この後どのような、文明が圧巻するのであろうか。昔、日本の船でマリアナ付近まで出かけ、しんかい6500という潜水艇で潜って帰る計画があった時、グアムに寄港することになり、パスポートが無いことが分かったが、どさくさに紛れて町中で買い物をすることができた。こんな間違いもあろうかと思うが、案外早くに身分証明書だけで世界中どこでも行けるようになるかもしれない。
しかし、研究環境というのは、お金のかかる部分が大きく、これにかなり影響され、いまもそうゆう傾向にある。一人の知恵より、二人では2倍以上に知恵がふくらむ。それがどうも人間社会のいいところのような気がする。同窓会とは、おそらくそんなところがある集団ではないかと思うこの頃。是非、大学時代の友も大事に、進化加速度に負けないべき乗の知恵を湧き出していただきたいと思います。