投稿者: 佐々木 勇輝(2021年 人文社会科学部言語文化学科卒)
静岡大学を卒業して、私は今、静岡市で新聞記者として働いている。学生時代からのご縁に導いてもらうように、仕事で静岡キャンパスへ足を運ぶことも。そんなとき、少しだけ時間を作って立ち寄る場所がある。図書館前の広場だ。
初めてそこに立ったのは、高校2年生で参加した夏のオープンキャンパスのとき。「静大って坂ばっかりだなあ」。一緒に来た友人と、息切れ混じりに愚痴をこぼした。しかし、ふと後ろを振り返ると、大きな空の下に静岡市の街並みが広がっていた。「けっこう、きれいに見えるんだな」。1年半後から、そこは人文棟へ授業を受けに通う私のチェックポイントになった。未来に悩んだ日でも、そこに立つと一息つける気がした。
広場には、柱のオブジェが立っている。静岡・浜松両キャンパスで、それぞれに向かい合って立ち続けるそのオブジェは、学生たちに「離れていても心はひとつ」と、静かに語りかけている。浜松キャンパスに友人がいた私にとっては、目に留まると「あいつも頑張っているのかな」と思える、心を支えてくれた柱だった。
どこまでも広がる青い空、世の中を大きく見渡すような心、誰かとつながろうとする気持ち-。広場に立つと、いくつもの「静大らしさ」が見えてくる。静大での思い出を問われて、あの景色が心に浮かぶ方は多いのではないだろうか。それは、静大生にとって「ここに立ったから、いまの自分がいる」と思わせてくれる、大切な場所になっている何よりの証拠だ。
静大の将来のあり方を巡って、さまざまな議論が進んでいる。卒業生として願うのは、未来の静大もあの広場が象徴するように、学生たちに豊かな気持ちを与える「かけがえのない母校」であってほしい、ということ。今も変わらない景色を眺めるたびに、その思いを強めている。