投稿者:鶴田 四郎(昭和22年卒 旧制浜松工業専門学校 工業化学科)
私は戦中、戦後を浜松工専に在学いたしましたが戦中は学徒動員で殆ど勉学はできず、浜松空襲で母校を守りましたが焼け野原と化してしまいました。終戦直後は就職したくも会社は無く、自らの生きる道を求める外ありませんでした。卒業後郷里(三島)へ帰り、敗戦から立ち直る日本のために何をなすべきかを考えて、父の家業を手伝いながら、三島市から社会教育委員を命ぜられ、小中学P.T.A活動の在り方や、青年団、子供会等の社会教育に力をつくすことこそ日本再建のための若者の責任と考え20才代を過ごしました。私なりの人生計画を建て20才~30才代は人に使われる体験をして人間関係の大切さを体験し、それを基本として40才代からは自営の道を開拓することと致しました。
私は浜松工業会の一員であり、技術者であることを忘れずにそれを生かす道、即ち「セールス・エンジニア」に徹することに気付き、あきない(商い)を通じて社会に貢献することに努力することと致しました。「あきないは経済学でなく心理学である」ことを知り、得意先との人間関係を確立し、愛される商人になることがあきないの出発点であることを知りました。今や技術の発展に依り新製品の続出の時代、その新製品の効用を適格に説明出来るのは技術者の責任であると思います。私は小さな個人企業ですが開拓したマーケティングリーダ-に支えられ、従業員は私の愛車であり、最少の経費で「あきない人生」を送っております。
現在86才を迎えましたが、今もって現役で「無店舗販売の実力発揮」を目標に頑張っております。計画をしたら良しにつけ悪しにつけ実行してから生まれる結論が正しい判断だと思います。そこから生まれる次への計画が生まれ「計画、実行、反省」のリズムが私の生活のリズムと思っております。