デスウォーク~デス編~

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こんにちは、小松です。

今回は前回の続きとしてデスウォーク後半戦のブログになります。
先に断っておきますが、今回は無礼講でお願いします。


 

ステーキガストを後にし、浜松キャンパスへと歩みを進めている中、ぷくぷくさんが金谷駅でリタイアしたという情報が飛び込んできました。そのため、一人になってしまったみやさんと合流することに。そのとき、みやさんとは我々の現在地から一時間半ほど歩いた場所で待ち合わせをしました。

みやさんとの合流を目指している途中、スーパーマーケットで小休憩をはさみました。
そこで皆は湿布や痛み止め、サポーターなどを爆買いしていました。個人的にはここでサポーターを買っておけばよかったと後悔しています。ここでコーラしか買わなかったのが僕の敗因です。ここで川田さんは一日の使用量が5cm程度と決まっている塗り薬を20cm分くらい足に塗りたくり、足の痛みが消えたぞ!とはしゃいでいましたが、10分後には気のせいだったわ。と沈んでいました。

スーパーでの休憩の後また歩き始めましたが、先頭を歩くたーくんさんのスピードが恐ろしく早かった。みゃちと細野と川田さんはその歩きのペースについて行けず、だんだんと離されては信号待ちで追いつくというのを繰り返し、みゃちと川田さんの口から思わず「早すぎんだろ。。。」と文句がこぼれていました。

さらに進み、もうすぐみやさんとの待ち合わせ場所に到着!というところで宮木さんから待ち合わせ場所の変更の連絡が。。。これに対してみゃちはまた少しの愚痴を漏らしていました。

その時少し盛り上がったのがみやさんの第一声を当てようゲームでした。みんながいろいろ案を出し合い、「遅かったね」や「ぷくぷく帰っちゃったよー」とか「ぷくぷくあいつ帰りやがった」もしくは「ぷく(一人残して帰っちゃうなんて)ひどくね」などの候補が出ました。そして正解はたしか「おぉ、来たか!」でした。みやさんらしくていいですね。ちなみにみやさんは我々を三時間くらい待っていたらしく、その間に銭湯に行き、合流した時にはフルパワー状態でした。
みやさん合流!

みやさんと合流し、次のチェックポイント大井川橋を目指し歩いている途中、野球用の靴できた南が島田駅で無念のリタイア。悲しそうでした。

そして、いよいよ大井川橋に到着。

この橋を渡っている途中、川田さんがインターンで学んだという橋についての豆知識を教えてくれました。橋は長さによって構造が変わるらしく、この橋は三角構造だよと教えてくれました。インターンで学んだ知識を披露できるのってかっこいいですね。僕も将来はこんな先輩になりたいです。

橋を渡った後、ファミリーマートで休憩しました。この後、運命の分かれ道があり、距離は短いけど道は悪いコースか距離が長いけど道は舗装されているコースのどちらかを選ぶ必要がありました。足がもう限界だった我々は足へのダメージを抑えることを考えて距離が長いけど道が舗装されているコースを選択しました。多分どちらを選んでも結局地獄でした。

そして難所金谷の石畳の坂に到着。ここでもM2のお二人はぐんぐん進んでいき、みゃちは置いてかれてしまいました。この坂で置いてかれたらたぶんやばいと思った川田さんが「宮地ついてきてるかー!!!」と何度か声をかけてくれて、実行委員長の責任感を感じました。

上り坂の後には必ず下り坂がある僕の経験則に基づき、今回もせっかく上った分を帳消しにする長い下り坂がありました。この下り坂はちゃんと舗装された道なのですが、かなりくねくねしていてたくさん歩いてもマップ上ではほとんど位置が変わっていないという悪魔の坂でした。あと、歩いてみて感じたのが上り坂より下り坂のほうがブレーキをかけなきゃいけない分きつかったです。

坂を下り、さらに歩くと、昼間は営業しているであろうお土産屋さんのようなお茶屋さんのような場所に到着し、少し休憩することにしました。この時やっと掛川に入り、ようやく残り半分という事実に驚愕し、心が折れ、泣き出し、膝から崩れ落ちました。この休憩ではみんなほとんどしゃべっていなかったですね。

いつまでも休んでいられないということで、また歩き出したのですが、一度消えた心の炎は二度と点かず、みんなあきらめムードでした。そんな中、今まで最後尾を死守してきたみゃちがここにきてペースアップ。「みんなにどこまで歩くか聞いてくる」と言い残し、そのままノンストップで先頭集団まで追い上げ、みやさん・みゃち・細野の先頭集団は闇の中に消えていきました。

一方、心の折れた後半集団は掛川駅までは頑張ろうということで休憩を過剰に挟み、歩きだしました。この時掛川駅まであと約5kmだったのですが、2時間くらいかけて歩きました。この時は歩いていると足の痛みがひどくなり、休憩してまた歩き出すと足に激痛が走るという歩いても地獄、休憩しても地獄という状態でした。この時、あっくんさんがほとんどしゃべらず、こんなに弱ったあっくんさんを見るのは初めてでした。

それでも何とか歩き切り、掛川駅に5:00ごろ着いて、駅のホームで休もうと思っていたのですが、まさかの駅が開いていない。外はかなり寒く、暖かい場所を探す体力も残っていなかったため、僕は寒いのを我慢して駅の前の階段で寝ていたのですが、川田さんは近くにあった公衆電話の中に入って、座っていました。正直うらやましかったです。

そんな感じでホームが開くのを待ち、始発で帰りました。電車に乗ったら一瞬で浜松に着いてしまい、人間の技術って素晴らしいなと感心しつつ、己の無力さを感じていました。浜松駅について、僕はバスで学校まで帰り、そのまま研究室で朝まで寝てしまいました。

11時ごろに起きたら真田先生が元気に歩き回って仕事をされていて、真田先生の鉄人具合を再確認できました。そんな真田先生でもデスウォーク終盤は結構きつかったらしく、浜松に入ってからはバス停を見かけるたびに、バス停のベンチに座って足のマッサージをしながら歩いていたそうです。
その後、真田先生が昼ごはんにラーメン屋に連れてってくださりました。そこのあっさりスープが体に沁みわたりました。スゴくおいしかったです。ごちそうさまでした!

お昼ご飯から帰ってくると、ちょうどみやさんとみゃちが浜松キャンパスに到着していて、最後は一緒にゴールしました。お疲れ様でした。学校に着いたときはみゃちの足はボロボロで爪が変色し、皮は破れ、立っているのが奇跡と感じるほどの痛々しさでした。全治三か月くらいのけがを負っていました。ちなみに最後まで実行委員長としての責務を全うした川田さんは足の骨がまだ痛いらしく痛みが消えるのに半年はかかるといっていました。

そんな感じで卒業記念デスウォークは幕を閉じました。

 


書いてみたらとても長いブログになってしまいました。ここまでちゃんと読んでくれた方ありがとうございました。
次回は卒業式のことについて書こうと思っていますので、お楽しみに!

それでは!