自然界には強い相互作用、弱い相互作用、電磁相互作用、重力相互作用の4つの相互作用が存在することが知られています。これらのうち、強い相互作用は量子色力学で、弱い相互作用と電磁相互作用は電弱統一理論(ワインバーグ・サラム理論)で記述されます。量子色力学と電弱統一理論は量子力学と特殊相対性理論を融合した力学形式である場の量子論の一種であり、これら2つを合わせたものを標準模型と呼びます。標準模型は現在のほぼすべての素粒子実験の結果を説明できます。しかし、階層性の問題の存在、多くの自由なパラメータを含む、暗黒物質の候補がない、などの不満足な点があり、背後により基本的な理論が存在すると考えられています。例えば、繰り込み群による解析により、大統一スケール(~10^16GeV)で上の3つの相互作用の結合定数は等しくなることがわかり、3つの相互作用を統一的に記述する大統一理論の存在が示唆されています。
一方、重力相互作用は古典的には一般相対性理論で記述されていますが、これを場の量子論で記述しようとすると、少なくとも摂動論的には繰り込み不可能であるという困難があることが知られており、量子力学と一般相対性理論の融合である量子重力理論はまだ完成していません。量子重力理論は宇宙のはじまりを知るうえで重要なのですが、重力の量子効果が重要になるプランクスケール(10^19GeV)は大統一スケールに近いため、重力を含んだ4つの相互作用を統一的に記述する理論が存在すると考えるのが自然です。超弦理論はこの重力を含む統一理論の最有力候補です。超弦理論によって上記の標準模型における問題点や宇宙論における宇宙項問題やインフレーションの機構などの問題点が解決される、あるいは解決の糸口が見出されることが期待されます。
標準模型を超える物理を探る上で、場の量子論の非摂動効果を理解することが重要です。また、超弦理論から物理的予言を引き出すためにも超弦理論の非摂動効果の理解が必要であり、場の量子論の非摂動効果の理解がこのときも有用になります。このような背景のもと、当研究室は、場の量子論および超弦理論の非摂動論的側面を追及することにより、素粒子論と宇宙論に対して新しい物理を予言することを目標に研究を進めています。研究のキーワードとして、行列模型、繰り込み群、格子ゲージ理論、ラージN、ゲージ重力対応、非可換幾何、超対称ゲージ理論などがあります。また、非摂動論的研究手法として数値シミュレーションも取り入れており、例えば当研究室で開発したハイブリッド並列計算のプログラムが現在「京スーパーコンピュータ」上で稼動しており成果を挙げています。また、当研究室はポスト「京」重点課題(9)「宇宙の基本法則と進化の解明」に参加しています。
以下に3つの主要な業績を述べます。
(1) 超弦理論の行列模型の提案
量子重力を含む統一理論を構築することは素粒子論の大きな目標の一つである。弦理論はその最有力候補であるが、現在のところDブレーンの非摂動効果を取り入れた摂動論しか完成していない。摂動論的に(準)安定な真空は無数に存在し、各真空に対して、時空の次元、ゲージ群、物質の構成、宇宙項の大きさなどが異なり、弦理論の予言能力は限定されてしまう。また、アインシュタイン方程式の宇宙論的解を過去に遡ったときに現れる特異点による理論の破綻は量子重力をもって解決されると期待されるが、摂動論に依る限り、弦理論はこの宇宙の始まりの特異点を解消できない。このような問題は、弦理論を非摂動論的に定式化し、その非摂動論的なダイナミクスをとらえることにより、解決されると期待される。行列模型は、非摂動論的な定式化を与えるものとして有望であり、実際、非臨界次元の弦理論という弦理論の雛型に対しては成功を収めた。私達は論文1で超弦理論の非摂動論的定式化の候補として、IIB行列模型(IKKT模型)を提案した。この模型はIIB型超弦理論の行列正則化を与え、自然に多体の弦を含む第2量子化された定式化となっている。この模型は、時間を含む時空のすべてが行列の自由度から生成されるという、新しい概念を与える。すなわち、この模型は、弦理論における時空は弦のダイナミクスから決定されるということを非摂動論的に実現したものであり、次元を含めた時空と物質場の構成を非摂動論的に決定できる可能性を持っている。さらに、非可換幾何学と深い関係がある、計算機に乗せて数値シミュレーション可能であるなどの特徴もあり、この模型は提案以来世界中の研究者に大きな影響を与え、この模型に関する研究は大きな広がりを見せている。さらに、 論文2では、この模型のSchwinger-Dyson方程式からIIB型超弦理論に対する光円錐の弦の場の理論が、合理的な仮定をおいた上で導出されることを示した。これはこの模型が超弦理論の摂動論を再現することを強く示唆し、模型の定義が非摂動論的であるので、この模型が超弦理論の非摂動論的定式化となっている強い証拠になる。論文3では、この模型のトイ模型であるボゾニック模型のダイナミクスを調べあげた。特に、そこで開発した平均場近似の系統的改良である1/D展開は、後にさまざまな文脈で利用されている。最近では、IIB行列模型のローレンツ型を調べて3+1次元の膨張宇宙の創発を示唆する結果を得る(論文4)などの大きな成果を得ている。
(2) バブリング幾何と複素行列模型の関係の研究
近年の弦理論の研究において、AdS/CFT対応あるいはもっと広くゲージ重力対応が
重要な役割を担っている。実際、ゲージ重力対応は原子核物理や物性物理にも応用され、大きな潮流を作っている。AdS/CFT対応の典型的な例は、5次元反ドジッター空間と5次元球面の直積空間上のIIB型超弦理論と4次元N=4超対称ヤン・ミルズ理論の等価性の予想である。すなわち、重力理論(弦理論)とゲージ理論という一見全く異なって見える理論同士の等価性である。Lin-Lunin-Maldacenaによって、IIB型超重力理論におけるhalf-BPS解のあるクラスは2次元境界面上の液滴の形を定めることによって決定されることが見出された
(バブリング幾何)。これらの解には、上記の5次元反ドジッター時空と5次元球面の直積空間およびそれに重力子や巨大重力子やAdS重力子が加わったものが含まれる。私達は、論文5でN=4超対称ヤン・ミルズ理論のhalf-BPSセクターを記述する複素行列模型の複素固有値分布が、上記の液滴に対応することを解明した。これにより、AdS/CFT対応(ゲージ重力対応)においてゲージ場の自由度と重力の自由度を直接的に対応させることができ、AdS/CFT対応のより深い理解につながった。この固有値分布と時空の関係はIIB行列模型の思想とも合致しており、超弦理論の非摂動論的定式化としての行列模型における曲がった時空の実現という問題、あるいはそれと深く関係する背景に拠らない超弦理論の構築という問題に対して大きな知見を与える。また、上記の巨大重力子やAdS巨大重力子は超弦理論におけるDブレーンであり、行列模型においては固有値に対応する。これに関連する仕事として論文6では、非臨界次元の弦理論に対応する1行列模型の多重臨界点において、固有値(固有値インスタントン)と非臨界次元の弦理論におけるDブレーンであるZZブレーンとの対応をつけた。
(3)N=4超対称ヤン・ミルズ理論の非摂動論的定式化の構築
超対称ゲージ理論を非摂動論的に定式化することは、素粒子物理学における大きな課題である。超対称性の破れの機構の解明やゲージ重力対応の研究など、その応用は計り知れない。ゲージ理論の非摂動論的定式化としては格子ゲージ理論があり、量子色力学の非摂動論的数値シミュレーションで大きな成功を収めているが、格子が並進対称性を壊してしまうことから、超対称ゲージ理論に対する格子理論は容易ではないことが知られている。ゲージ理論のラージN極限はそれを次元還元して得られる行列模型とある条件が満たされれば等価になるというのがラージN還元であるが、私達はラージN還元を曲がった空間上に拡張することにより、4次元N=4超対称ヤン・ミルズ理論のプラナー極限をplane wave行列模型を用いて非摂動論的に定式化することに成功した(論文7)。具体的には、4次元の平坦な時空上のN=4理論を共形写像で時間と3次元球面の直積空間上に写し、この時空上でラージN還元を実現することにより、背景のモデュライの不安定性というラージN還元の問題を、超対称性を保ちつつ解決することができた。実際、この定式化は16個の超対称性を明白に保っており、
格子理論では保てる超対称性が1ないし2であることを考えると画期的であり、 微調整なしで連続極限が実現できる。こうして、この定式化は、4次元超対称ゲージ理論の世界で初めての 数値シミュレーションが可能な定式化となっている。この仕事は、(2)で述べたバブリング幾何の違う例であるSU(2|4)対称性を持つ理論のバブリング幾何について探求した
論文8で得た知見が基になっている。論文9ではこの定式化のチェックを行った。また、この定式化においては、3次元球面が行列の自由度から生成されており、曲がった時空の実現という行列模型における重要な問題に対してやはり大きな知見が得られたが、さらに論文10で一般の群多様体上でラージN還元が成立する機構を明らかにして、この知見を深めた。最近では、私達はこの定式化を計算機に乗せて数値シミュレーションを行い、相関関数などを重力側からの予言と比較して、AdS/CFT対応を直接検証することを始めている(論文11)。