【第145回】大学の機構・組織・所在地等の変更は同窓会の危機!

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投稿者: 中村 元弘(昭和43年 農学部農芸化学科卒)


大学の同窓会は、大学という樹木に棲息する寄生木といえます。大学の変革に影響を受けたちまち変質してしまいます。静大農学部は、1973年磐田市から静岡市に移転しました。この時、大学農学部は移転に賛同し、同窓会と地元は反対しました。大学は、長い年月をかけて広大な敷地と農地を、静岡市と藤枝市に移転させてきました。しかし、その移転の理由は何なのか理由は明らかにされませんでした。

一方、同窓会は、移転を契機に磐田時代と静岡時代に分かれ、断絶される危機に瀕しました。双方が別れてしまった同窓会は、一緒に消滅しようとしていました。その後の20年間程は、まとまった同窓会活動はありませんでした。同窓会という組織は、過去の思い出に浸る母体なので、大学講内の景観や教室等を共有できないと、まとまりは難しいのです。その後は、消えた灯を燈し、時を重ねて双方が融合していきました。大学と学部が統合や移転をすると、同窓会はそこで消滅の危機に見舞われます。

さて、後日談になりますが、1972年県知事は、文部大臣の決定を覆し、医科大学の設置を静岡市から浜松市に電撃的に転換させました。また、農学部の跡地には、その後現農林技術研究所が移転しました。県の空地はしばらくそのままでしたが、やがて、その地に県立総合病院が建設されました。このように、静岡市内の数か所に予定されていた医大予定地は、時が過ぎて別用途に回されていきました。それでは、静岡市駅南に集結した静大は、何のために移転したのでしょう。

農学部同窓会は、一度消滅の危機にあり長い年月とともに同窓生の想いと努力によって今日の姿があることを忘れてはいけません。