【第156回】「坂の上の学び舎」と旧制静高100年

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投稿者: 山下 徹(昭和53年3月 人文学部法経学科経済専攻卒)


24年前の秋、編集局長から、「静大開学50周年の連載記事を書いてくれ」と頼まれた。地元紙で社会部から文化部に異動して間もない頃。静大出身だから学生時代を思い出して好きに書いてくれ、式典のある6月までに終えるよう。決まりごとはこれだけだった。

企画、取材はともかく、困ったのが企画題名。静大の象徴が思い浮かばない。恩師の安藤實先生に相談した。先生はゆっくりとした口調で、「大学のイメージは坂ぐらいかな。司馬遼太郎の小説に坂の上の雲があったな」と。「それだ!」。題字は「坂の上の学び舎」にした。

「坂の上の雲」は日露戦争時代の日本を描いた不滅の国民文学と称される。日露戦争の勝利から一層、軍国主義を強める日本。1960年代後半から70年代前半にかけて産経新聞に連載された。高度経済成長期の高揚した国民感情や世相が、西欧に追い付けとばかり富国強兵を進めてきた明治期の時代背景に似ていたせいか、当時の読者に好評で本にもなった。

司馬遼のいう坂は一歩ずつ登って近代国家の仲間入りしていく日本の象徴だったのだろう。静大の坂も、富士に向かって大学が、学生が成長していく姿を表しているように思える。坂を静大の歴史に例えれば、坂の土台になっているのは、間違いなく旧制静岡高等学校、静大文理学部の諸先輩、先生方だ。

今年は旧制静高創立100周年。物事は上から俯瞰して見るとよく分かる。静大に関わる方々、坂を登る途中で後ろを振り返り、過去から未来へと俯瞰する気持ちで大正から令和をたどり、空を見上げてあすの大学を思い描いてほしい。コロナで失ったものは大きい。しかし、大切なものも見えてきたはずだ。今がチャンスなのではないか。時代の危機は大いなる転換を可能にさせる。100周年事業で11月19日に時代の先端をひた走る先輩たちがグランシップでコロナ後の世界、日本を語り合う。ポストコロナを見据えて、ぜひ一緒に新しい世界と日本、静大の次なる100年を考えていただきたい。