投稿者: 鵜飼 暢雄(昭和37年 農学部農芸化学科卒)
昭和37年(1962年)農学部卒業の同期生は3学科合わせて87名でした。
特に私と同じ農芸化学科卒業は23名でしたが(女性は2名)、卒業後61年を経過した現在ではその1/3余は他界され、現在でもお互いにメール等で頻繁に交流を続けている仲間は10名弱であります。
振り返りますと、私も同期の皆さんとは相当頻繁に同期会の会合を色々な理由を付けまして東京で静岡市で、そして磐田市で繰り返し開催してきました。
その回数は15回余にも及びます。
ごく最近開催した同期会は2022年11月、東京の学士会館での「卒業60周年記念会」でありますが遠方からの参加者を含め三学科合わせて17名という大勢の方に参加して戴けました。大いに盛り上がりました。
私は常に「人生は他者との出会いによって形づくられていく」という強い思いがあり、それが私の今日までの実感でもあります。
その中でも同期生との交流では、以前、このリレーエッセイ(第24回)にも記しましたが、合計3回にもわたり中国新疆ウイグル地区を7~10名の同期の仲間と共に大変な長距離をバス・ジープ等で走破したことは強烈な思い出で一杯です。
更には2008年11月と2010年4月と2回にわたり10日間余、西オーストラリア州の首都Perthで同期の仲間ら7名と大きな邸宅を1軒レンタルし、自炊生活を楽しみながら連日のごとくゴルフ三昧の生活をしたことも忘れることが出来ない思い出であります。
Perthは世界で最も住み易い街と言われ、街の周辺には大変な数のゴルフ場があります。
正にゴルフ天国の素晴らしい街であります。
有名な兼高かおるの著作の中で世界の中で一番住んでみたい街として紹介されていますが異論はありません。
このように、卒業後60年余を経過した現在でも、同期の皆さんとの色々な交流は、私の大切なエネルギー源になっていますことは間違いありませんし、80歳を健康体で迎えた人は真の「幸齢者」であると感じています昨今です。