投稿者: 川尻 邦夫 (1994年 工学部化学工学科卒)
唐突な切り出しであるが、私は大学入学に至るまでに2年を費やし苦学の末静大に入学したにもかかわらず、1年生時に他の大学への入学を希望し申請した。どうしてもあきらめきれず2年生の時も同じ事をし、指導教官をあきれさせた。当時は、愛着心のかけらもなかった。そのため、2年生までは最低限の人付き合いしかできなかったが、それでも楽しかったと記憶している。
4年間は恥ずかしながら最低限の勉強で単位をクリアしていったが、年次をおうごとに同級生との交流は密になってきた。そして、結果的に何とか4年で卒業した。
私が卒業する時は半分が修士課程に進み、残りの三分の1は留年してしまったが、皆が浜松にいる状態で学科の同窓会をすることができた ー1994年の3月だったと記憶している。
そして、なぜか自分が勢い幹事役を担うはめになり、出来れば年1回くらいみんなに会いたいと思うようになっていたが・・ばらばらになったみんなを集めるのは苦難であった。
それから何年たった頃だろうか・・同じ会社の先輩から声をかけられた。工学部の同窓会である浜松工業会の東京支部の活動に関わらないかというものであった。先輩の話が聞けるという興味本位で参加したが・・支部長、本部の副理事長、副会長等といい意味で深みにはまった。自分の卒業した大学を違った角度で見ることができて、非常に新鮮であるとともに、本当に素晴らしい(工学部だけに個性的)先輩方や先生との交流が出来ていることは興味深いと思っている。人とのつながりを何に/どこに求めるのかは、まさに多様性であると考えるが、その中に同窓会活動も加えてみてはいかがでしょうか?