投稿者: 浅野 安人
(昭和47年理学部物理学科卒/前理学同窓会長)
静岡大学の分割再編の二大学一法人機構について現在行なわれている議論の中には、肝心の在学生・教職員や卒業生の意見を反映しているとは思えない部分がある。われわれ昭和四十二年入学の同窓生は、静岡大学の教養部が統合されて、駿府片山の地で一緒に教養教育を学び、部活を行ってきた第一期生である。そこで培われた多様性や困難を克服する力が、その後の活躍の原動力となっている。もし、静岡大学が東部と西部の二校に分割されると、体育系の東海のリーグ戦などで活躍しているものは弱体化し、一部から下位のランクに下がることは目に見えている。又、文化系のサークルにしても、全国大会で優秀な成績を上げるどころか大会の出場も危うくなると思われる。家康公も三大危機を乗り越え、浜松を出て天下統一を果たしたのである。
一地方でこじんまりまとまろうとするのは、近代教育の弊害そのものである。今こそ、静岡大学の静岡地区及び浜松地区と浜松医科大学が大団結して静岡大学の底力を世に見せ付けたいものである。
加えて、科学と技術は車の両輪である。技術の進歩がないと新しい発見や観察はできないし、科学的な思考の裏づけがないと技術の発展はない。このどちらか一方では車はまっすぐ前に進むことは難しい。いまの議論の中では、一地方大学の集団として歴史の中に埋もれていくのか、『大静岡大学』として世界に羽ばたいてゆけるのかの岐路に立たされている。
家康公が、徳川三百年の時代を作ることができたのは、73年余の生涯の「徐破急」にあたる部分を、生誕の地でも、出世の糸口を掴んだ地でもなく、天下を俯瞰するのに最適な駿府をその居所に構えたことが大きい。どこに根拠地を置くのかといえば、史実が示している。ドイツの宰相ビスマルクの言に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」がある。浜松医科大学も医学の府としての存在を願うのならば、その原点に立ち返って一考をお願いしたいものである。