【第167回】教育演習日誌に思う

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大高 千尋(昭和55年3月教育学部小学校教員養成課程数学専攻卒, 教育学部同窓会事務局長)

年末の大掃除で毎年、母の遺した「教育演習日誌」を手にすると作業が止まってしまいます。教育実習一日目に「怖いような、うれしいような初日で失敗の連続だった」と悩んでいる様子や、最終日に「教壇に立つ日」を考えてドキドキしている様子は、今も昔も変わらない実習生事情というところでしょうか。教職に就いて10年にも満たず体調をこわし、退職をした母でしたが、「日誌」を最期まで大事にしていたのは教職への熱い思いがあったものかと感じております。

学生にとって「教育実習」は新たな世界との出会いとなります。教育学部を選び、教職を目指す原点となった小学校・中学校の記憶を胸に子どもの前に立ちます。

私は小学校1年と中学校3年の2つの学級で実習をさせていただきましたが、自分の描いていた「学校」とは全く違う経験でした。子どもの視線と教師としての視線の違いだったのでしょうか。毎日手作りの小道具を持って授業に臨んだものの、始まる前には1年生の子どもにすっかりみつかってしまい、子どもは授業よりも小道具を早く使いたい(見たい)ことに目がいってしまい散々な毎日でした。中学校での小道具はさすがに授業で使えましたが、生徒の方が上手で、道具の動き方を事前に知っていても、一様に驚いてくれて、随分助けてもらいました。

どちらの指導教官も「手ぶらで授業に行くな」という先生だったからでしょうか、退職するまで、その教えは私の授業スタイルとなって支えてくれました。

母の「日誌」には指導教官から「教育実習は教師としての練習ではありません。教育者としての第一歩を踏み出したのです。…始めの覚悟で頑張ってください。」とありました。

「教育実習」での出会いが、学生の皆さんの教職への一歩となることを願うばかりです。