投稿者:山崎 文男(教育学部同窓会副会長/昭和49年3月教育学部中学校教員養成課程卒)
白亜の掛川城天守閣は平成6年に木造復元されました。それ以前はその場所に平和観音が屹立していました。小学校に入学した頃の私にも、日露戦争の戦没者を慰霊した碑文から歴史の重みを感じました。私は新緑の中、青銅の観音様の足下まで階段を駆け上がり、遠くの景色を眺めました。遥か東の方にちっぽけな富士山が見えていました。
その後、中学、高校時代を大阪で過ごしました。静岡へ戻ったのは静岡大学教育学部への入学が契機でした。そして富士山の偉容を明確に認識したのはその年の夏でした。軟式庭球部に入部した私は富士宮北高校で行われた合宿に参加しました。中学、高校と文化部でのんびりと過ごした私にとって初めての運動部の合宿はかなり過酷なものでした。富士宮浅間大社南の宿から高校まではだらだら続く坂道で結構こたえました。そんな時見上げた夏の富士山にはかなり元気づけられました。
初任地はなんと富士宮市でした。3校目に井之頭中学校に赴任しました。この学校には3年毎に8月に全校で富士登山をするという行事がありました。7月末に特活主任と2人で下見のため初めて登頂しました。頂上の鳥居から剣が峰までは吹雪で忘れられない体験でした。
平成4年から富士宮市で富士山学習が始まりました。この課題解決的な学習は富士宮二中の理科の授業がきっかけでした。以来現在に至るまで市内の全小中学生は富士山に関わる課題を自ら見つけ、課題解決に取り組みました。特に多くの人の前で成果を発表することはプレゼン能力の育成に最適でした。私も実行委員長を2年間務めました。
昨秋静大の先生方との意見交換会で大学へ行く機会がありました。構内には昔の面影が残っており緑が豊かでした。E棟の窓から見下ろすと、教え育てることの奥深さと困難さとに無知であった学生時代の思い出が幾つか蘇ってきました。


