【第196回】最後の「穆寮会」

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投稿者:吉川 駿(昭和39年文理学部12回経済専攻)


4月22~23日、最後の穆寮会が中島屋グランドホテルで最高齢89歳から78歳までの19名が参集して行われました。「最後」というのは、「穆寮会」を構成するメンバーが、若い人でも間もなく80歳。昭和24年から43年の取り壊しまで続いた19年間の総数284名を数えた穆寮在寮者も、多くは他界、間もなく消滅の道を歩まざるを得なくなったからです。最後ということもあり、体が不自由ながら参加された方もあり、盛り上がりました。昔の寮生活、学生生活、友人、アルバイト、静岡の街、龍爪登山など話に花が咲きました。この懇親の場には同窓会「岳陵会」の山下徹会長も参加くださり、寮歌斉唱まで3時間の間お付き合いいただきました。

翌日23日は、現在のキャンパスを訪れ、文理学部の後継である「人文社会科学部」「理学部」を見て回るとともに、「穆寮旗」、「穆」の額(当時寮事務を司っていた大学事務員・田邊郁子さんが書かれたもの)を資料室に納めさせていただきました。大学訪問に当たっては、同窓会担当の教授、事務員、同窓会の担当事務の方々が手厚く対応くださり、一同感謝・感激の念でいっぱいでした。

静岡大学が、静岡市街地の東北方面の賎機山の麓=大岩でスタートした時、キャンパスの一角に「仰秀寮」がありました。旧制静岡高校を引き継いだもので、木造2階建て、不二寮、穆寮、映寮、魁寮、悟寮の5棟で構成され、1棟40人、総勢200人が起居していました。文理学部の学生は1学年150人4年生まで合わせると600人ですから、3分の1の学生が「仰秀寮生」だったわけです。

畳の6畳間に学生2人、机も本棚も入れると空間はわずか。同窓生でも若い方々、今の学生にはとっても耐えられない生活でしょう。当時の貧乏学生にとっては不満も感じない生活空間でした。1年間に3回部屋替えがあり、高学年と低学年、人文系と理系が一室ペアになるのが原則でした。人間の幅が広くなったのも当然でした。

在寮生のほとんどは「私立大学」を受けたことはなく、「国立大学」一本の学生たちばかりだったでしょう。だが、在寮生たちは、青春のこの4年間が、その後の「自らを築いた」と語る人がほとんどであり、「仰秀寮」「穆寮」は人生のハイマートでした。

穆寮会は、そんなハイマートと思う集団であり、今回がその最後でした。でもリアル穆寮会は終わっても「ネット穆寮会」とオンライン「穆寮日誌」は有志の手によって続けられます。