日本国憲法の哲学と戦後人権論のプロブレマティック

                               笹沼弘志
Ⅰ 現代人権論の地平
 近代的人権の揚棄を果たすものとされた社会主義体制の瓦解、とりわけソ連の最後を飾ることとなった「人権宣言」は、「人権の普遍性」を皮肉な形で印象付けることとなった。しかし、冷戦終結後の世界において、西欧起源の「普遍的人権」に対する文化相対主義からの批判が強まり、「多文化」状況のなかで近代立憲主義の基体たる透徹な「国民国家」理念が動揺しつつあるのも周知のことである。
 個人的自由に対し階級的利益、社会主義体制の利益を優先させてきた社会主義体制崩壊後の社会において個人的自由が強調されるのは当然のことである。しかし、スターリン主義を、自律的団体=共同体解体による「全能の国家と無力なアトム的個人」の直対面構造つまり「全体主義」社会ととらえる見解からは、むしろ国家権力を効果的に制限しうる対抗権力の存在の必要、多元的団体主義が主張されている。これは集権的国家による身分制秩序からの個人の解放、集権的国家と個人との二極構造のなかにおいて国家からの自由、個人的自由を確保するという近代立憲主義の抱えるアポリアをつきだすものである。
 国民の同質性を要求する国民国家に対しては、人種的・民族的マイノリティ、性的マイノリティからの多元主義的要求が提起されている。近代立憲主義の典型的モデルとして知られるフランスの共和主義的伝統にたいし、近年「差異への権利」が対置されてきたのも周知のことであろう。これは民族的マイノリティの側からだけでなく、異質なものの存在を許さない近代合理主義の「同質化」に対する「ポスト・モダン」からの批判としても行なわれている。 
 また、近代的人権は自律的意思主体を担い手として想定するものであったが、実態としての個人が自律志向をもちながらも他者に依存して生きざるをえない矛盾した性格をもつものであり、想定と現実との折り合いをどうつけるのかといった問題も出されている。この問題は、現実の社会における強者と弱者(マイノリティ、子ども、障害者)との「不平等」ないし支配関係に関わり、人権を自律能力により根拠づける近代主義の立場は「弱者」から人権を剥脱するものではないかとの批判も出されている。「力のないもの」が「力あるもの」に対抗するには連帯により力を獲得せざるをえないが、この連帯自体が構成員にとってはやはり力として支配機能をもたざるをえないというパラドックスもある。
 こうして現在、人権は、自由主義と共同体主義、共和主義と多元的デモクラシーなど諸種の理論的対抗の中で議論され、その新たな基礎づけの試みが行なわれているのである。ここではこうした諸理論の対抗軸をとりあえず「自律と連帯」としておこう。
 実は、「日本国憲法の哲学」自体がそもそも自律=個人的自由と社会的連帯との幸福なあるいは危険な「調和」を内包するものであった。それゆえ日本における人権論は、日本国憲法の哲学における「自律と連帯」との関係をいかに把握するのかをめぐって展開されざるをえないものであったといえよう。しかし、従来の安易な個人主義的解釈や団体主義ないし共同体主義的解釈は、個人的自由と社会的連帯とのデリケートなバランスの上に成り立っている、「日本国憲法の哲学」の理論的解明を妨げてきたのである。
 そこでまず、「自律と連帯」という対抗軸から戦後人権論を整理し、「いかに『自律と連帯』とを『調和』させるか」ではなく、「『自律と連帯』を現実において追求せざるをえない現代(福祉)国家において、人権論はどうあるべきか」について、若干の考察を行なってみたいと思う。

Ⅱ 日本国憲法の哲学——人権と権力システム
 日本国憲法の「基本的人権」保障は「個人主義」を原理とするものだというのが、現在の通説である。しかし、これが同時に社会連帯主義、「ひろい意味での社会主義」 をとりいれたものであることも制定当時から指摘されていたことである。
 憲法草案の審議を行なった第九〇帝国議会で日本国憲法の正統な解釈を構築するのに尽力した金森徳次郎は、日本国憲法の基調となる思想を、個人を重んずる西洋的思想と「個人を包んでの人間集団」を重んずる東洋的思想の融合であるとした 。そして「基本的人権は、要するに個とこの個の結合体とが幸福に調和してゆける場合の意思の境界線」を決定するものだという。「個人主義規定と社会的規定とが混在しているために目眩がする」とか、一八世紀的な個人主義的自由主義に二〇世紀的な社会連帯や社会権保障に対する国の責務をおざなりに継ぎ足したようなものだとの批判に対し、彼は自律と連帯の幸福な調和の哲学を擁護するのである。
 こうした「個人主義と連帯主義」「自律と連帯」の調和の哲学は憲法の個人主義的理解を確立した宮沢俊義によっても共有されていた。宮沢は「新憲法が単に消極的な一九世紀的自由主義だけに満足せず、多少なりとも社会的乃至社会主義的な原理を承認し、それに基づく規定を設けていること」に注意を喚起している(宮沢①17頁)。社会権保障や経済的自由の制約をも規定する日本国憲法はワイマール憲法などと同様に「ひろい意味での社会主義」に位置付けられると考えた。これはたまたま日本国憲法が現代的な社会国家=福祉国家的性格をとってしまったからそれを単に弁護する立場という日和見的言明ではなく、相対主義を理念とする宮沢の従来からの確信であったともいえる。彼は戦前、ラートブルフにならい相対主義が自由主義から社会主義への発展を必然的に要請するとの見解を明らかにしていたが、最初に体系的な人権論を展開した五九年版『憲法Ⅱ』において、再び相対主義=民主主義理念の自由主義から社会主義への論理必然的発展を主張し、「人権の進化」を説いたのである。
 たしかに、宮沢の言うごとく「人権の進化」(人権の実質化・社会化)は人権というフィクションを定立した社会の「論理必然的な発展」である。
 「すべての人間は自由平等である」との宣言は、各人の共同体からの解放、身分制支配の否定を行い、諸個人を「自律的個人」として措定させることができた。しかし、現実にはようやく切り開かれた自由の空間で新たな支配隷従が形成されていった。それゆえ諸個人を自律化させるために国家=法が社会の諸領域、諸個人の生活局面へと介入し、保護・平等化を行なうことが要請され、それを正当化する新たな社会法・社会的諸権利が制定されていったのだ。これは形式的自由・平等に対し、実質的自由・平等を保障するものであった。国家の社会への介入と権力の増殖、個人の自律化と民主政の拡充、こうした「自律と連帯」の緊張関係の上に「法の社会化」「人権の実質化」過程は展開したのである。
 日本国憲法もこうした系譜の上に位置付けられる。個人的自由と社会連帯のバランスの上に成り立ってはいるが、それは当初想定されたように決して「幸福な調和」などというものではない。きわめて危険な緊張関係である。この緊張関係は、人権宣言を行なってしまった社会が不可避的に抱え込まざるをえない危険なのである。

 1. 連帯主義——進歩と反動の奇妙な結合
 日本国憲法制定後初めて体系的な「基本的人権」論を展開したのは、憲法・公法学者ではなく、民法学者我妻栄であった。宮沢はその「基本的人権」論の枠組みをほとんどこの我妻から継承している。この事実は戦前日本憲法学がいかに立憲主義の内実を欠くものであったかを象徴的に物語るものである。権力の組織という客観的秩序を論ずることに慣れていた国法学者ではなく、日常的に人々の権利義務関係から法を論ぜざるをえなかった私法学者が日本初の体系的人権論を打ち建てたというのは偶然ではない。
 我妻は、「新憲法」は一八、一九世紀的な自由主義的個人主義を脱し、「国家と個人との融合」を前提とするものであり、自由権的基本権から生存権的基本権保障への質的発展と「『自由権的基本権』を保障するについても、既に国家的協同体理念に推移せんとする気運を示すもの」(我妻①八六頁)であるとした。
 「新憲法」の現代的憲法としての質的・量的発展を積極的に読み取ろうとした我妻に対し、戦前から穂積陳重の法律進化論を継承し、「法律の社会化」や連帯主義的文化国家論を唱えていた牧野英一は、日本国憲法の「基本的人権に関する規定は、一八世紀の人権宣言を出でないものが多い」、ワイマール憲法やスターリン憲法そしてフランス新憲法に比しても規定が十分でなく、物足りないと批判する。しかし、「新憲法」が「権利の濫用を戒め公共の福祉のために権利を利用すべきものとし、人格の尊厳及び平等の原則と共に、労働の権利及び義務を規定し、財産権の公共性を規定」するなど「二〇世紀の憲法の特色」を有しており、これを解釈によって発展させねばならないとした(牧野①八一頁)。その発展方法を牧野は次の四原則として提示した。(1)寛容を意味する民主主義、(2)平和主義、(3)論理よりも実体的に公平な解決を前提とする社会正義、そして(4)文化主義である(82頁)。「文化主義」、「文化国家」は牧野にとって戦前からの重要な概念であった。それは基本的にいわゆる「福祉国家」の概念と対応するものであり、「国家の任務としての『積極的統制』」(牧野②二一六〜二二一頁)(とりわけ私的所有へのそれ)を通じ、個と全体の調和、国家と個人の同化をもたらす進化的過程として捉えられている。特に牧野は憲法一条の「国民統合」に注目し、国民解放を介した国民統合の一層の発展が憲法の期待するところであるというのである(牧野③54頁)。
 こうした牧野の社会連帯主義・進化主義的立場からの「公共の福祉」論(国家の能動的役割と国民の権利制約・義務の強調)が、後に憲法調査会における「福祉国家」論への受け継がれることになるのである。「憲法調査会」では「現行憲法は一八世紀・一九世紀的な自由国家の原理に立つ憲法であり、社会連帯の観念に基づく二〇世紀的な現代福祉国家の原理に即応していない時代遅れの憲法であるとし、この立場から、国民の社会的責任を明らかとし、個人の権利・自由の行きすぎを是正しうるよう、権利・自由に対する制約を明らかにするために改正を要する」との見解が多数をしめた(憲調①五七一〜五七二頁)。天皇制については「天皇を精神的な中心」とする「単一の民族国家」の「永い歴史と伝統」を「末永く護持すること」を意図し、「民主主義——国民主権——と、天皇制——君主制——とは両立し、調和する」のは「現代世界の常識」であることを強調する意見が有力であった(「共同意見書」、憲調②五八二〜五八四頁)。一八世紀、一九世紀の個人主義に対し二〇世紀の新しい連帯主義の意義を強調する「進歩」の思想が、他方で天皇制国家主義への復古主義と結合したのである。
 日本国憲法制定後、常に改憲要求は「進歩主義」的スタイルをとって提起されてきた。それは(特に戦前における)「社会連帯主義」「進歩主義」受容の「日本的特殊性」と関わるものである。
 一九世紀フランスで勃興した「社会連帯主義」は社会連帯による国家制約を意図するもので、そのかぎりにおいて自由主義と結びつくものであったが、日本における連帯主義の受容は自由主義ではなく国家主義と、しかも天皇制的な協同体的国家主義と結合した。
 日本が身分制共同体からの個人の解放という近代立憲主義の課題を未達成のまま近代国家への発展をめざしていた一九世紀後半の世界は、既に個人的自由を中核とする自然権的人権を形而上学として批判する「社会連帯主義」「実証主義」の時代であった。これは一時も早く世界の文化国家のレベルに追い付くことを課題とした当時の日本にとってまさに「渡りに舟」であった。共同体秩序が解体されず、個と共同体が未分離な状態で、社会連帯を主張することは「共同体からの個人の解放」を主張することよりもはるかに容易である。かくして下からの連帯の組織を通じた国民的=国家的統合への道がめざされたのであるが、共同体秩序の残存は地域的閉鎖性、エゴイズムの存在をも意味する。これを克服していくのが国民教育、社会の産業化と社会化そしてそれらを統合する天皇制であり、「社会連帯主義」はその統合の理論を与えようとしたのである。
 ところで近代的人権をブルジョア的迷妄、ブルジョアジーによる階級支配を隠蔽・強化するものと批判した左翼も、個人的自由に対し、団結権の優位を主張した。左翼は、理論的には「法と国家の死滅」「人権カテゴリーの揚棄」を主張し、裁判闘争など実践においては公務員の政治的自由や社会権保障を要求するといったアンビバレントをとりながら、その「矛盾」には無自覚であった。この「無自覚さ」が「日本国憲法の人権の哲学」の意義を理論的に解明する作業をさらに困難なものとし、「人権」の現代的理論の構築を妨げることとなったといえよう。また、労働者の団結擁護が会社主義したから支えたことも忘れてはならない。だからこそ左翼連帯主義の法理論は破産しつつあるのである。
 日本における左右の連帯主義=共同体主義は、日本国憲法の哲学をほとんど理解しえなかったし、それを根元から破壊してしまうようなものでさえあった。だからこそ、現在日本国憲法の「個人主義」的側面が一面的に強調されることになっているのである。
 ここで個人主義の検討に入る前に、現代の議論に接続する新しい連帯主義の登場について簡単に触れておこう。
 団結の優位と保護を強調する左翼「社会法」論に対して、自由=自律の意義を再興させようとする新連帯主義が六、七〇年代に登場した。中村睦男は社会権誕生の背景には、資本に対する労働者の異議申立てや参加=コントロール、「下からの社会連帯」が存在していたことを想起させ(中村三九〜四〇頁、二九六〜七頁)、「労働者を中心とする利害関係者の個人的、集団的権利・自由を軸とする下からの『社会権』論、および『社会権の基底における自由権の存在と両者の相互関連性』を主張しよう」とした(同二九二頁)。
 参加と下からの社会連帯、自由権と社会権との相互関連性の主張は、第一世代の人権=「自由権」、第二世代の「社会権」に続く「第三世代の人権」=連帯権などの主張に通ずるものがあるといえよう。この同時代性に着目しておきたい。

 2. 「個人の尊厳」——個人主義と社会理論
 宮沢は憲法の哲学を「ひろい意味での社会主義」と捉えながら、「基本的人権の保障の理念的前提」はあくまでも「個人主義の原理」だと捉えた。こうした憲法の個人主義的理解が改憲派の「社会連帯主義」や「民族協同体主義」からの「公共の福祉」による人権制約と義務の強調に対し「自由主義」と「人権」を擁護するものとなった意義は十分評価されるべきであろう。しかし、宮沢の個人主義を原理とする理解からは社会権を権利として基礎づけることはできず、二五条の生存権保障を単なるプログラム規定とする解釈をとらせることとなった。社会権については反動的協同体主義派と同様、国民の権利ではなく、国民生活の保障に対する国家責任を宣明したものと解したのである。
 それでは、個人主義の原理と連帯主義とは憲法のなかでどのように和解させられているのだろうか。一三条、二四条の「個人の尊重」ないし「個人の尊厳」の意義をこうした観点から再検討してみる必要があろう。

 (1) 「個人の尊厳」
 一三条の「個人の尊重」については一般的に、日本国憲法と同じく戦後憲法たるボン基本法における「人間の尊厳」と同様のものと解されているが、「個人の尊重」「個人の尊厳」には幾つかの系譜をたどることが可能であると考える。
 第一に、人格的自律主義(カント)の「人間(性)の尊厳」である。これは自己の定立した法に自ら従うという自律の原理に基づく。
 第二に、人類主義。アメリカ独立革命のイデオローグ、ペインは「人類の一体性と平等」を強調したが、人類の一員として個人は権利、尊厳性を有するのである。
 第三に、二〇世紀型「人間の尊厳」。これはカントの自律主義的「人間の尊厳」と無縁ではないが、第二の人類主義や一九世紀の「社会連帯主義」「進歩主義」それと不即不離の関係にあった「コスモポリタニズム」が二度の世界大戦を経験するなかで結合して出来上がったものであると考えられる。こうした「人間の尊厳」の理念は「人間社会の全員がもつ固有の尊厳」をうたった「世界人権宣言」の哲学を構築しようとした「国際人権宣言の基礎」(E・H・カーを委員長とする「人権の理論的基礎に関するユネスコ委員会」が四七年七月に世界人権宣言採択に一年数ヵ月先だち作成したもの)の中に示されている。「基礎」は「現代哲学者たちは、その哲学に相違はあっても、人間の尊厳に対する信仰を深め」た点では共通しているとし(ユネスコ二六五頁)、また人権の普遍性が「単に人間の間には根本的相違がないという理由ばかりでなく、全人類社会・世界共同体が、現実的な、実行的な力となったということ、そしてその共同体がもつ相互依存的性質が遂に認識され始めている」ことによって支えられているとしている(二七一頁)。そして「男女両性が生れ乍らにもつ尊厳」が「より完全に又たえずより高い水準に到達し得る条件を創る」ことが国連の目的達成の条件だとし、「人間として又世界共同体の構成員としての全人類」の人権をうたいあげるのである。人権の進化と普遍化への強い信頼が読み取れる。
 日本国憲法の「個人の尊重」・「個人の尊厳」もこうした進歩主義的・人類主義的な連帯主義の内実をもったものといえよう。金森の直観が実は正しかったのである。日本国憲法は個人主義と社会的連帯との幸福な調和を実現しうることを信じていたのであり、それは牧野と同様ある種の「進歩主義」(コスモポリタンな)によって裏打ちされていたのである。だが、こうした進歩主義をもはや信じることのできないわれわれにとっては、日本国憲法の哲学は「幸福な調和」どころか、両刃の剣、あるいは阿片の如く危険なものに転化してしまったのである。

 (2) 社会組織原理としての「個人主義」
 ところでそもそも個人主義とは何であろうか。ハイエクは「個人主義」を「真の個人主義と」「偽の個人主義」とに区別し、「真の個人主義」の立場をっている。
 「真の個人主義」は自然発生的な社会的産物、自発的な結合に基づくものである。「真の個人主義は家族の価値と小さい共同体や集団のあらゆる共同の努力を肯定」し、「地方自治と自発的結社に信を置く」ものなのである。基本的に多元主義的な共同体主義といってよかろう。これは多数の意図的指令によって成し遂げられるものより多くのことをなし得るものだとハイエクは主張する。これに対し、「偽の個人主義」はデカルト的合理主義に立ち、計画的に組織された国家と個人だけを実在するものとし、中間団体は抑圧されるべきだとする。「偽の個人主義」とは樋口陽一いうところの近代立憲主義の構造たる「ルソー=ジャコバン型」であり、ハイエクにいわせればこれは「つねに、個人主義の反対物すなわち社会主義や集団主義へと発展する傾向がある」ものだということになる(逆に「真の個人主義」は樋口のいう団体的多元主義たる「トクヴィル=アメリカ型」ということになろう)。
 たしかに、樋口の近代立憲主義は、実のところ個人主義というより共和主義に力点があるのではないかと思われる。個人の解放・同質的個人=人一般の創出を行なう理念的共同性たる共和主義へのアンガジェ。「弱い個人」たる人々に果てしない自律化を要求する強烈な啓蒙主義。これが、透明な国民国家における規律訓練による個人の主体化=服従、権力による包囲をもたらしたのである。
 他方、ハイエクの「真の個人主義」は、樋口が再三強調するように自生的秩序における諸個人の人格的・身分制的「隷従」をともなう。
 「国家からの自由」を確保するためには自発的団体の多元主義が必要であるが、そこでは諸個人の自発的服従という罠が待ち構えている。他方、団体という社会的権力からの個人の解放を追求すれば集権的国家を制約する手段を失うことになる。それだけでなく、解放された個人を、権力に対抗し得る自律的意思主体たらしめるように巨大な教育装置が張り巡らされることになる。いずれの「個人主義」にせよ、権力による諸個人の包囲をともなうものであるというのは皮肉である。
 また、どちらの個人主義もそれぞれ異なる形ではあるが連帯主義と結びついている。共和主義という政治的アソシエーションへの連帯。自生的な小さな共同体への連帯。そしてどちらも特有の権力作用と結びついている。ダブルバインドであり、われわれはその強制された選択を行なわざるをえないのである。いや、というより、現代福祉国家に生きるわれわれは、両者の危険を同時に抱え込んでしまっているのだ。それが日本国憲法の「自律と連帯」の調和の哲学がわれわれにもたらしたものなのである。
 こうした権力作用に対抗する「人権」論は、いかにして構築されるべきなのであろうか。
 ここで二四条において「両性の本質的平等」とともに記された「個人の尊厳」の意義について考えてみたい。この民政局草案二三条(ベアテ草案)では「男性の支配」否定が明確に書きこまれており、男性支配の否定=女性の解放という視点から「個人の尊厳」がとらえられていたことに十分な注意を払うべきだと考えるからである。これは先にみたペインと同様イギリス・ラディカリズムの潮流に属し、『女性の権利の擁護』を著わしたメアリ・ウルストンクラーフトを想起させるものである。ここでは身分制秩序=団体からの個人の解放というよりは、解放された諸個人の社会のなかにおいてもなお存続する個人の人格的支配の否定として「個人の尊厳」が主張されているのである。ベアテ自身の言葉によれば、単に封建的な日本社会における女性の隷従だけでなく、自由な社会アメリカにおいて経験した女性差別に対する批判も込められていたのである。
 制定憲法二四条ではベアテ草案の「男性支配」の否定という文言は削除されたが、「個人の尊厳」の人格的支配からの解放=自由という含意は保存されていると解すべきである。二四条は単に「両性の平等」をうたっているのではなく男性による女性支配の否定、女性の解放=自由を定めているのである。国家からの自由、身分制支配=団体からの自由のみならず、個人的権力からの自由をも意図しているのだ。これはヨーロッパ伝統の人格的自律主義やアメリカ的個人主義を超える質を有するものである。日本国憲法の人権の哲学の核心は国家・団体・個人あらゆる権力からの自由に求められるべきである。一三条の「個人の尊重」の意義もこうした観点から再度捉え返されるべきであろう。
 
 Ⅲ 権力と人権
 現在、人格的自律(能力)による人権の基礎づけの試みが様々に展開されているが、これによって「自律と連帯」の時代における有効な人権論が構築し得るのであろうか。これは憲法調査会的意味で時代遅れだといっているのではない。憲法が予定する「自律と連帯」に対応した権力作用に抵抗し得る「人権」論の必要を言っているのである。
 かつて恒藤恭は「倫理的自由」すなわち「自律」を「人間の尊厳」と区別し、「人間の尊厳」に現代的な意義付けを試みた。恒藤は倫理的自由、すなわち人格的自律能力に依拠する自由について、まず次のようにその問題性を指摘する。「強度の精神障害者は倫理的自由を発揮しえないし」、他の人もそれを活用する方法・程度は様々である。つまり、その程度如何により自由享受の差別=支配関係が生ずる点を鋭くとらえているのである。これに対し「人間の尊厳は…万人にひとしくそなわっている」というだけでなく、「先天的または後天的精神障害者でないか否かを問わず、例外なく万人にそなわっている」ものである(恒藤二九頁)。恒藤にとって人間の尊厳=個人の尊厳とは(恒藤は両者の区別に意を払っていない。個人を実体的価値の担い手としてとらえるのではなく、権力関係の網の目としてとらえるべきだというマルクス=フーコー的把握をとる私も、両者を区別しない用い方が妥当であると考える。)カントにおけるように人格的自律性に基づくものではなく、文字どおり万人に備わっているものなのである。そして「啓蒙哲学的立場から構想された抽象的・孤立的個人ではなく、現代の世界に生きる現実的個人の全存在をば、個人の尊厳の存立する基礎として理解する立場」をとるべきだと恒藤は断言する(恒藤三五頁)。人格的自律能力を有し、倫理的自由を発揮しうるものだけでなく、否むしろ自律能力を制約されているものにこそ、尊厳を認めるべきだというのである。これはカント派法哲学者であり続けたものの言であるだけに真摯にうけとめるべきであろう。
 自律能力による人権の基礎づけは、人権の保障を確保・促進するよりも、むしろ自律能力なきものを「モノ化」し、権利を剥脱する。その上で、慈悲深い、しかし尊大な眼差しで「これがお前が本当に欲しがっているものだ。そらこれをあげよう」とパターナリスティックな保護をするというわけである。これが障害者や生活保護受給者の「個人の尊厳」を傷つけ、貶める論理となっているのだ。
 自律の主張は事実の世界での道徳的な要求であり、法=権利のレヴェルのものではない。現実に個人的自律、集団的自律(民主政)という「力」を追求するからこそ、あらゆる「力」に対する抵抗可能性としての人権の意義を法の地平で確立する必要があるのである。

  <参考文献>
金森徳次郎『憲法遺言』(学陽書房、一九六一年)。
憲法調査会①『憲法調査会報告書』(一九六四年)/②『憲法調査会における各委員の意見』(一九六四年)
辻村みよ子『人権の普遍性と歴史性』(創文社、一九九二年)。
恒藤恭「個人の尊厳——自由の法理との連関からみた個人の尊厳について」尾高朝雄教授追悼論文編集委員会編『自由の法理』(有斐閣、一九六三年)。
中村睦男『社会権法理の形成』(有斐閣、一九七三年)。
ハイエク『市場・知識・自由』(ミネルヴァ書房、一九八六年)。
樋口陽一①『近代憲法学にとっての論理と価値——戦後憲法学を考える』(日本評論社、一九九四年)/②「社会権力と人権」『基本法学6権力』(岩波書店、一九八三年)。
牧野英一①『新憲法と法律の社会化』(日本評論社、一九四八年)/②『法律における文化と価値』(有斐閣、一九三四年)/③『法律文化の二〇世紀』(春秋社、一九五〇年)。
宮沢俊義①「新憲法の概観」国家学会編『新憲法の研究』(有斐閣、一九四七年)/②『憲法Ⅱ』(有斐閣、一九五九年)。
ユネスコ編『人間の権利』(岩波書店、一九五一年)。
我妻栄①「基本的人権」国家学会編『新憲法の研究』/②『新憲法と基本的人権』(國立書院、一九四八年)。

掲載誌:月刊フォーラム10号(1994年)62-70頁

* 掲載誌が廃刊されており、入手が困難であるため臨時にここに掲載する。
笹沼弘志 2016.12.30.

h.sasanuma
憲法学、人権理論の研究を専門としています。