フランケンシュタインとメアリ

あのモンスターで有名な『フランケンシュタイン〜現代のプロメテウス』の作者メアリ・シェリーの正式名称はメアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーという長ったらしい名前。いわゆる結合姓である。

夫シェリーは「縄目を解かれたプロメテウス」などで知られる詩人。母親は『女性の権利の擁護』の著者メアリ・ウルストンクラーフト。父親がウィリアム・ゴドウィン、『政治的正義』や『ケイレブ・ウィリアム』を著したイギリス・アナーキストの祖である。

ゴドウィンは『政治的正義』のなかで、将来の人類は医学の発達によって不老長寿になるというとてつもない未来図を描いた。そうなると心配なのは人口問題だが、彼は未来の人類は理性の発達により性欲もコントロールできるようになるため、人口増加による食料問題や貧困などは招かれないと考えた。これに反論を加えたのがマルサスの『人口論』である。

ところで、メアリ・ウルストンクラフトは娘(メアリ・シェリー)の出産の際、命を落としてしまう。『女性の権利の擁護』において男性支配を批判し、女性の人権を主張したメアリは出産という女性の「性」により、その目的達成の道をたたれてしまうという皮肉な運命をたどることになった(『女性の権利の擁護』を完成させるものと期待された『女性への虐待』の未完成)。

母親がたどったこうした悲劇的な運命を背負ったメアリは、人類の理性と科学は女性を解放しうるのか思い悩まざるを得なかったのであろう。メアリの「フランケンシュタイン」への着想はこうした煩悶を母胎としているともいえる。父ゴドウィンはこれに対して既に楽観主義的解答を与えている。それから約2世紀後にはリブの思想家の中から女性の解放のためには、究極的には生殖技術による女性の出産機能=母性からの解放が必要だとの主張も現れた(ファイアストーン『性の弁証法』)。その同時代に日本ではある奇人が『家畜人ヤプー』という書物の中で「高貴な白人」女性たちが、家畜人女性の母胎をつかって子孫を殖やしていくという世界を描き出した(沼昭三著『家畜人ヤプー』)。

しかし、こうした技術は現在、現実のものとなっている。体外受精の進歩による胚の売買、「代理母」。「代理母」が出産した子どもは依頼者の子か、それとも「代理母」のものか。こういった争いはもはやめずらしいものではない。独身男性が代理母に子どもを産ませその赤ちゃんを虐待死させるというショッキングな事件も起こっている(ペンシルバニア事件)。

さて、メアリの想像力は2世紀後の現代において、再び恐ろしいモンスターをつくってしまったのだといえるのだろうか。

ここで、メアリの『フランケンシュタイン』が父ゴドウィンに捧げられていること、そしてフランケンシュタインがあのモンスターの名前ではなく、ヒトを人間の英知によって作り出すという理想にとりつかれた若き科学者の名前であったことを思い出すべきだろう。

この理想によってこの世に生を与えられたがゆえに、他人からおそれられ、己の醜さに苛まれ、孤独に絶望し、最愛の創造主に裏切られ復讐を企てるあのモンスターこそがメアリの現身なのだ。理性が抱く果てしのない野望によって、現在そして未来にわたり、従属させられ虐待され続ける存在がいるのだということ、そしてそのような存在が自らの存在の正当性を主張すれば常に怪物扱いされ、嫌悪され、蔑まれるのだということこそがメアリの訴えなのである。

ちょうど彼女の母親メアリが男性支配を批判し、女性の権利の正当性を主張した『女性の権利の擁護』を書いたように。そのときメアリ・ウルストンクラーフトは「人間の皮をかぶった狼」とか「ペティコートをつけたハイエナ」とか罵られ、『野獣の権利の擁護』といった念の入ったパロディー本で貶められたのだった。その母をも含め、何者かを自ら支配しようとする「力」により「服従」させられ、尊厳を傷つけられているすべての人のために、彼らの呪いを成就するために書かれたものが『フランケンシュタイン』なのである。

(注) このエッセイは法学セミナーに連載した「自己決定権〜人権の臨界5」の元となったもので2000年8月以前に書き、旧HPに掲載していたものです。大学のシステムの関係上旧HPが閉鎖されたため、旧優生保護法による優生手術(強制断種・不妊手術)の被害者が被害を訴え裁判が行われている現状に鑑み改めてここに掲載することとしました。

h.sasanuma
憲法学、人権理論の研究を専門としています。