やらまいか讃

静岡県には浜松と静岡の2つの政令指定都市がある。静岡大学も2つ分かれている。浜松の精神に「やらまいか」という言葉がある。「やってやろうじゃないか」という精神だ。Wikipediaによると、浜松の「やらまいか」に対して静岡には「やめまいか」という言葉があると書かれているが、真偽は知らない。なぜ、この言葉を思い出したかというと、「なにを研究テーマにするか?」と関係するからだ。

空想の話をしても意味がないので、ささやかな経験の話をしよう。

「ガラス包有物の入った斜長石には2種類あるがなぜか?」など気にする研究者はいなかったのだろう。その解釈を投稿すると、こんなことは1930年代に久野久先生が研究していてよくわかっていることだと査読に回らなかった。

「水とマグマの臨界終端点など意味はない」と多くの人は考えていただろう。しかし、火山弧の下で起こりうる温度圧力条件であるとわかった時、常識は消えた。

「流体包有物の塩濃度測定なんて数10年前にやられていたことで、いまでは誰もしないよ」とよく聞く。マントルやプレート境界での流体の化学組成の一部でもわかるのに、だれも研究しないなんて勿体ない。

人と同じことをしても意味はない。自分しかできないことをしたいものだ。研究テーマを選択する時に無意識に考えていることの一つだとおもう。