今日も暑いなあとは感じていたが、40.0℃を記録したそうだ。
私の経験した最高温度は50℃超。アリゾナ州立大学でポスドク研究員をしていた時だ。7月だったと思う。高温すぎて、飛行機が離着陸するのに空気の密度が低すぎるため危険と判断され、フェニックスの空港(Sky harbor airport)は数日閉鎖された。揚力の英語、lift forceを初めて知った。
アリゾナ州立大学は私がいた頃に比べ大きくなった。そもそもフェニックスという州都は冷房の普及とともに大きくなってきていた。当時、フェニックス周辺で240万人だった人口が470万人になった。同時に(多分税収が上がって)大学も大きくなった。大学は、フェニックスに隣接する市で、Tempeにある。日本人なら、天日か天火を思い起こす名だ。高圧ラボには、私の前にも日本人研究者が在籍していた。今も日本人の研究者が在籍している。皆、覚悟はしていただろうが、夏の暑さには驚いただろう。基本的に雨は降らないので、天気予報は見なかった。
初めて空港に降り立ったのは、AGU会議の後だから、12月だった。寒いサンフランシスコから楽園におりたった気がした。サボテン公園に連れていってもらって、夕暮れ時の砂漠の美しさを知った。4月に暮らし始めて、すぐに体温よりも気温が高くなって驚いた。乾燥しているので汗は気づかないが、頬に塩の結晶がつくのはわかった。歩道脇ではスプリンクラーが稼働していたし、場所によっては芝生や花壇などは冠水させていた。6月が一番暑くて、その後、少し夕立が降るようになると楽になった。モンスーンと呼んでいたと思う。それでも、長い夏の期間は、24時間冷房は消せない。アパートの冷房を切って出かけると、帰宅して朝までかけても暑くて大変だった。アパートの部屋の前はプールだったが、夜泳いでいる人がいたと思う。
静岡市の熱風はフェーン現象だそうだ。市内出身の学生さんに聞くと、周りを山に囲まれているからとのことだった。もちろん、出かける時にアパートの冷房はつけっぱなしだから、帰っても大丈夫なはずだ。