学会出席のため、イタリア・シシリー島のカターニアとベルギーのルーベンを訪れた。学会の中には参加者の親睦のため夕食会が開かれることがある。カターニアではベネディクト修道院が使われた。17世紀に起きた大きな地震とエレナ山の噴火に伴う溶岩によって街は壊滅的被害を受けた。街の一部は溶岩の上に再建されている。被害のあったベネディクト修道院は18世紀にバロック様式で再建された。再建ではローマ遺跡まで掘り起こされ、見学ツアーでそれを自分の目で見ることができる。ローマ遺跡は地下2,3階の深さにあり、そこまでの溶岩はそのまま残されている。現在、カターニア大学文学部の校舎として使われているとのこと。ここで学んでいる学生たちは常に2400年の時間の歴史の中にいることを感じていることだろう。
どうしても話したいという知り合いのカターニア大教授からカターニアの歴史を教わった。この辺りは古くはギリシャから、その後ローマ、イスラム、ノルマン、スペインなどに支配を受けてき、第二次大戦直後はアメリカ統治の可能性もあったとのこと。そうでなくて良かったとの表情であった。何世代も支配されてきたことを否定的に感じるよりむしろ、文化の融合があった歴史に誇りを持っているようだった。
ベルギー・ルーベンは“まるで中世のような”街並みが残っている。ルーベン大の先生に聞けば、第一次大戦で街はほとんど破壊されたが、それを伝統の建築で再建したとのこと。ヨーロッパで三番目に古い大学にはこの古い感じがふさわしいと、胸を張っていた。イタリアもベルギーも古いカトリック教会がいくつもあり、観光客が見学できるようになっている。観光客に比べると少数であるが、地元の方と思われる人たちが真剣な表情で祈っている姿がある。
歴史について自分やその周りを振り返ってみると、お寺や神社には日ごろは直接関わらないが、年に一度か二度、お彼岸や初詣でお参りをする。ご先祖に感謝の気持ちを思い出し、神や仏に生かされていることを感謝する。周りの人も自分と同じベクトルを向いていることを思うとき、日本の歴史~私たちがベースとしているもの~を意識する。博物館に足を運んで、国宝とか重要文化財などと札がついている美術芸術品を見たり、名が知られていない職人が作った民藝と呼ばれるモノを見たりするときは、自分の先輩たちがこれを作ったことや自分と同じように「すごいなあ、いいなあ」と見てきたことに誇りを感じ、これらを大切に残してこられたことに感謝の気持ちが湧いてくる。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」読むたびに、芭蕉の詠んだその場所に瞬間移動させられる。この句を目にした人が同じ場所に連れていかれるから、そこに日本人の根っこを感じるのであろうか。ネットにあった英訳例“Deep silence, the shrill of cicadas, seeps into rocks.”では連れていかれない。
戦争を経験された方々は口を揃えて「戦争は絶対に駄目だ」と言われる。「絶対ダメ」というのは「最優先にせよ」ということ。70年間戦争をしてこなかったことは、先輩たちが工夫をしてこられ、私たち今を生きている日本人も含めてそれを実践してきたことを表している。日本国憲法は世界最先端の中身であり続け、特に武力によらないで平和を目指すと宣言したことは誇るべきことである。「絶対ダメ」というのは「いつまでもダメ」ということ。70年間続けてきた、この伝統に誇りを持って、私たちやこれからの人たちがこれを続けていく努力をしなければいけない。今が歴史という伝統の上にあり、今のかたちやあり方を次につないでいけるよう、自分ができることをよく考えてそれをしっかり努めたい。
(2017/10/7)