これまでたくさんの先生たちに考え方や観方を教わってきた。どの先生からもユニークなものを教わってきたと思う。中でも特別大きな影響を与えられたと思うのは、先生がほんの数人に対した中の一人だったときか、あるいはMan to manの場面だ。書道の宮崎先生やピアノの田中先生から教わるのもMan to manだ。ここの払いはこのように、ここの跳ねはこうやって、と筆遣いの型を教えて頂くし、この音とこの音の間はここの二倍にする、右手をここにこう置くと、この音から次の音をこんな風にスムーズに出せる、とピアノの弾き方の型を教えて頂く。他の人へのアドバイスを聴いていても、少しは自分に通じる教えがあるがほとんど参考にならない。くせは一人一人違うから、先生の言葉も一人一人違う。先生は自分のどこが型からずれているかをぱっと見抜いて、その場でどうすればよくなるか適切な言葉でアドバイスされる。自分はそこを意識しながら10枚20枚と書き、10回20回と繰り返し同じ個所を弾く。繰り返して型を身に付けようとする。そのうち意識しないでできるようになったら、型が身に付いたということなんだろう。
大学の講義では学生が50人や100人を超えるものもある。100人いようが一人だろうが、先生のおっしゃったことをこちらが受け止める量に差はないはずだ。話の密度が1/100対1/1になる訳ではないのだから。それでは何故、100人に向けられた言葉と一人だけに向けられた言葉で大きな違いが生じると感じるのだろうか?両者には実際に違う言葉になっているからであろう。一人であれば、その場でそれはなぜか問うことができて、その場で自分が納得する説明を得るまでQ&Aが繰り返される。最初の質問はそれを発した人の大事な点であって、最後の答えは暗闇を奥まで照らす一条の光になる。その明かりを頼りに、今度は一人である程度その道を進んでいける。100人の講義でそのような質問がされることはほとんどない。こちらに明らかな間違いがあった時、それを皆の前でも指摘できる学生がいるときくらいだ。非常に本質的な質問をする学生がいても、その学生のために講義時間をたくさん割くことはできない。この講義では何をどこまでやるかということを予めシラバスと呼ばれる予定表で決めているからだ。従って、その学生への大事なQ&Aは、講義が終わってからMan to manで行う。その学生は自分で一対一の場面を作り出して、貴重な明かりを得ることに成功する。それ以外の学生は教員の予め用意したStoryを聴くだけになる。各学生は、全体の話のうちには「なるほどそうか」という瞬間が何度かあるかもしれない。しかし、最も知りたかった疑問に対するヒントは得られなかっただろう。ツボにはまらないまま講義が終わってしまう。
毎回の宿題の際に講義のコメントを尋ねているが、これを書いていてずっと重要な問いがあることに気づいた。表面的なコメントよりもずっと深い問い、「不明だった部分はなかったか、特にその不明なことが気になってしょうがないようなところはどこか」のような問いである。自分一人に向き合ってくれた先生方が僕にしてくれたようなことを、今度は若い人にしてあげられるよう工夫したいと思った。一対一の場面をどう作りだせるか、それが課題だ。
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