学術論文にも歴史を書くべきケース


  回路に関する学術論文の章立ては、既存回路の問題提起=>回路の工夫の提案=>実証結果の紹介、が一般だ。研究の開始に当たる問題の発見がどのようにされたかを示すことはほとんどない。しかし、回路の何が問題かを示すことの重要性は、その問題の一解決策を提示する重要性に比べてそん色ないどころか、場合によってはより重要なことになり得る。その論文での解決策はその解決策が最適なような前提でなされたものであって、前提が変われば最適な解決策が変わり得る。一方、提起された問題はそのような前提に関わらず、より一般的となり得るからである。こういう場合には、どのようにして問題が発見されたかを示しておくことが大事だったと思う。
    例えば、発振回路の論文では、周辺の回路が動作を開始または停止するとそれに伴い熱の流れの変化があるため、発振回路を構成するインダクタの実効的なインダクタンスの温度変動によって発振周波数が変動するという問題提起を行い、温度変動への耐性を向上させる補償回路を提案し、その動作を実証する、という章立てであった。あたかもそのような問題点はじっと考えて先験的に思いついたように受け止められるかも知れない。しかし現実には、この問題の原因が熱流の変化に伴う温度変動であったことを突き止めるのに一年半をかける必要があった。発振周波数が時間経過とともに少しずつ変動するドリフト現象があったため、その原因を見つけて対策する必要があった。当初は、回路動作に伴う電源変動や基板ノイズを疑い詳しく調査しても原因が分からなかった。行き詰って、別事業所の通信モジュールを開発しているグループの方に話を聴いてもらうと、大電力の無線信号を出力するパワーアンプ周りは温度変動に注意することが常識であることを教わった。それに比べれば三桁も小さな電力のパワーアンプがどれだけ発振回路に影響するか定量化する必要が出た。さらに別の事業所で、パソコン内の温度解析を計算機シミュレーションで行っている方が居られることを知って、自分の問題となっている発振回路周りの条件を入力して発振回路付近の温度変動を0.1K, 1us, 10umの分解能でシミュレーションできないか相談した。パソコンの方は1K, 0,1s, 1cmの分解能であるので、どうなるか分からないと言いつつ計算をして頂いた。得られた温度変動の波形に、発振回路の温度感度係数であるHz/Kを掛けると、果たして周波数のドリフト波形に一致した。この瞬間の感動は忘れられない。このような長時間と多数の関係者の助けで見つけられた問題発見に比べれば、対策の補償回路を提案したりそれを実証したりすることは小さなことだった。自分が読者側なら多分問題発見に至るStoryの方を興味深く読んだと思うが、それは学術論文の作法にはないので、これまで公開する機会は得られなかった。研究者の仕事の何割か~ひょっとすると50%にもなるのではないか~が、この問題発見・問題発掘に充てられることを考えると、これを互いに公表し議論し合う機会が必要になってくるかも知れない。(2018/3/11)
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