【第3回】誇り高き情報学部の卒業生

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投稿者:小山 雄介
(平成12年 情報学部 情報科学科卒)


私たち情報学部の1期生は、静岡キャンパスでの”洗練された”カリキュラムで基礎教育を終えた後は、浜松キャンパスで”手作り”のカリキュラムで情報学の勉強をスタートしました。

今思うと、先生方も手探りの部分もあったと思います。特に「情報科学実験」です。2、3年生の段階で大学に泊り込んでコンピュータと戦うとは想像もしていませんでした。「それは情報学部のカリキュラムの開拓でもあったんだ」、私たちは後にそう思うようになりました。

授業だけではありません。あまり多くのサークル活動もありませんでした。当然キャンパスライフを彩る異性と知り合う環境は整っていませんでした。そこで私たちは新しくサークルを作り、外に打って出ることにしました。功を奏し、なんとかコネクションを作ることは出来ました。

しかし、言い換えると自由にやりたいことができる環境にありました。1期生だけで学生も少ないのでゆとりのある大学キャンパス、先生方との密接な関係、食堂のオバチャンとの大切な関係。勉強し放題、遊びもし放題、大学は暴れ放題。都会の大学では絶対に味わえないような学生生活を送ることができました。

そんな今の私の基礎を作ってくれた大学には感謝しているし、卒業生であることには誇りを持っています。在学生の皆さんは、今は情報学部も設備が整い、カリキュラムも整い、サークルも充実していると思いますが、やりたいことがやりやすいこの静岡大学情報学部で思いっきり暴れてください。


【皆様からお寄せいただいたコメントを紹介しています】

情報科学科の前身である工学部情報工学を専攻した伊藤と申します。

私が入学した頃は情報工学科が設立されて6年目。やっと修士2年生まで揃った状態でした。まだ当時は電子 工学が花盛りでして情報工学という学問分野は真新しくてコンピュータも超貴重品であり、ホストコンピュータが冷暖房完備の計算室(、今の生協北会館)に鎮座しておりました。個人で所有できるもの(大きさも値段も)ではなかったのです。夏は涼しく冬は暖かい 計算室は将にオアシスで快適でしたが、プログラミング実習では深夜までプログラムのバグ取り作業に追われていたのが懐かしく思い出されます。世はハードウエアからソフトウエアへと切り替わる時代でした。静大には富士通製のホストコンピュータと三菱電機製と 沖電気製の中型機、マイクロコンピュータ等がありました。言語もアセンブラ(、機械語)FORTRAN、COBOLといった高級言語教育が堵について今後の情報化時代の幕開けを予感させる希望に満ちた学問でした。今の情報学部と変わらない熱気が当時も既にあったのです。

私達は、静大で情報工学を身に付け社会へと旅立ちましたが、当時は電子計算機を扱うエリートでした。その後の情報通信工学の進歩は凄まじく、メインフレームからパソコン、携帯電話、通信との融合、インターネット、ユビキタス時代とハード環境もソフトウエア作成技術も様変わりしています。私たちが勉強した高級言語でシステム設計するデータ中心開発技法は採用されなくなり、またプログラム開発もオフショア(、中国)が中心となっています。日本から開発拠点が海外に移り、情報システム開発技術もいろいろ身に付ける時間的な余裕さえなくなる今日この頃、もう一度、基本に返って情報学を見直したいと思っています。良いシステム造りの基本を整理して若い後輩に伝えることが今の使命だと感じるようになりました。

ホームカミングデーには、私たち情報工学科卒 の面々も呼んでください。情報工学の発展の歴史について大いに語ろうではありませんか?

昭和54年3月卒 工学部 情報工学科 伊藤隆