【第86回】大学で経験したことを振り返って

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投稿者:飯塚 勝(昭和41(1966)年 文理学部理学科卒)

大学に入学したのは昭和37年(1962年)で今から50余年ほど前のこと、このころは皇室の婚礼儀式(昭和34年4月10日)が過ぎ明るい話題にわいたあと、60年安保(昭和35年)で荒れ、安保反対、平和と民主主義を守る国民会議の運動が活発になった時だった。入学すると生活の場は寮(当時大学構内に仰秀寮があった)で、全国各地から大学に入った人たちと生活をともにした。文系のヒト、理系のヒト、学年も1年から4年あるいはそれ以上の在籍者と部屋をともにしていろいろ議論したり、デモに参加したりした。

また、サークルやほかの大学の人たちとも交流する機会に恵まれた。多様な考えのひとや行動を見る中でいろいろのことを考える機会を与えられた(集団としての行動、個人としての行動、責任の範囲など)。大学での収穫は多くの友人が得られたこと、多くの興味を友達との交流で引き出してもらったことだと思う。生物科学の一分野を専攻したので、生命活動のkeyとなる核酸や酵素の分野に興味を持った。

大学院は当時静大には併設されていなかったので、他大学へ行くことになったが、大学院では研究主体と言うことで、一つの謎解きに挑戦した。ここでも友人との情報交換が大いに役立った。運よく大学の教員に仲間入りしてからは外国の教員や研究者、学生とも交流する機会が得られ、いくつかの得がたい経験をした。石油危機を経験した時期には東南アジアとの2国間協定(日本-タイ)でバイオマスエネルギー開発のプロジェクトでカセサート大、マヒドン大、シルパコーン大、チュラロンコン大などに短期共同研究をした。またフイリピン、インドネシア、中国、韓国などの学生を迎えて、学生の学位につながる研究もあった。学会でシアトルに行く機会があった時には研究室と交流のあった先生の自宅へ招待されて、ご馳走になったうえ、ノーベル賞のメダルや賞状を見せていただいたこともあった。主体的な活動は自ら行うことですが、周囲の友や先生、同窓会とのつながりの輪を広げていくことが大切に思います。