許山研究室は、言葉がどのように使われてきたか、文化がどのように伝えられてきたか、について研究しています。
(本記事の画像内の卒業生には、個人が特定されないよう加工を施しました)
卒業研究
過去には以下のような卒業研究がありました。
・日本と中国における母子環境の研究–出産と育児に関する問題意識をめぐって–
日本は少子化に直面し、中国は人口増加に直面して、互いに相反する問題を抱えています。母子環境はさまざまな問題があります。その一つ一つについて、それぞれの政府がどのような対策を立てているかを検証し、たがいに参考になる施策があるのかを検討しました。
(熱海でゼミ合宿しました)
・上海租界と横浜居留地–異文化流入による町並みと暮らしの変容–
大航海時代を経て、諸外国がアジアにまで押し寄せる時代に、上海と横浜はほぼ同じ時期に開国政策を行いました。その際、どのような土地政策を実施したのかを検証しました。情報社会の中で、我々の現在の生活も、当時とある意味では同じ状態にあるといってよいでしょう。どういう社会にすべきかを意識した研究になりました。
(卒業研究合宿で寸又峡に行きました)
・世界の条件付き説話の諸相–タブー型と難題型を比較して–
説話にはさまざまな類型があります。「……しないでください」というタブー型には「鶴の恩返し」などがあります。逆に、「……してみろ」という難題型には「娘の助言」などがあります。それぞれどのような種類があり、どういう構造をしているかを調べました。
・土産物における元祖品と模倣品の系譜
観光地を含め、さまざまなお土産ものが売られています。そのなかで、「元祖品」というべき代表的なお土産商品と、それを真似たと思われる「模倣品」に着目しました。そのなかでも、模倣品は二種類に分かれ、模倣しながらも向上を目指した「創造型模倣商品」と、安易に模倣しただけの、消費者を騙すような「ルアー型模倣商品」があることを述べました。
自主ゼミ
許山研究室では、授業の中国語に飽き足らないひとのために、「自主ゼミ」を開催することがあります。教科書に書かれた「人工的な中国語」ではなく、「ナマの中国語」を読んでいく会です。卒業単位にはならず、予習も必要ですが、参加を歓迎しています。

要望に応じて読んでいくものは変わりますが、許山先生が好きな文体の作家が巴金(1904-2005)なので、当初は巴金の『随想録』を読んでいました。半分くらい読んだところで、同じ巴金の小説「啞了的三角琴」(邦題:バラライカの思い出)を読みました。その後は、中国人のブログなどを読んで、中国語読解力をつけるとともに、中国人の思考様式を考えていきました。
学期末にはみんなで中華レストランに繰り出したりもしました。

この自主ゼミに限らず、許山研究室はよく食べよく飲みます。

学生といっしょに行くこともある研究
許山研究室では、言葉や文化に着目し、分析して卒業研究に結びつけています。その一環として、研究室のメンバーやその他の協力者と石碑に記録された記述を解読しています。
今回、ご縁があって、富山の石碑を調査しました。
富山で創業した「佐藤工業」の創始者佐藤助九郎に関する石碑が富山にあります。これは漢文で書かれています。その一部を紹介しましょう。
翁姓佐藤稱助九郎越中礪波郡開發邨人元龜天正間佐藤助九郎者來往本邨實為翁八世祖中世稱助三郎至翁復舊翁尤精土木文久三年修理常願寺川明治後官命翁修河身築堤防其功立成測量詳密構造堅牢蓋越之為地大河交流大雨至則水勢暴漲壞崖決隄民不免昏墊而今日絶其患者翁之力也(以下、省略)
漢文なので、本来、句読点も送り仮名も返り点もありません。訓読すると以下のようになります。
翁、姓は佐藤、助九郎と稱す。越中礪波郡開發邨(現在の富山県砺波市東開発附近)の人なり。元龜天正(室町・戦国時代の年号)の間、佐藤助九郎なる者本邨に來往す。實は翁八世 の祖為り。中世、助三郎と稱し、翁に至りて舊に復す 。翁尤も土木に精しく、文久三年常願寺の川を修め理む。明治の後、官、翁に命じて河を修せしむ。身ら堤防を築き、其の功立ちどころに成る。測量詳密にして構造堅牢、蓋し越の地為る、大河交も流れ、大雨至れば、則ち水勢暴漲し崖を壞し隄を決し、民昏墊 するを免れず。而して今日其の患を絶する者は翁の力なり。(以下、省略)
漢文で書かれた石碑は日本に多数残っており、その調査に時々出かけています。