この原稿は、言語文化学科教員たちによる、辞書をテーマにした共同研究論集『研究成果報告書(Ⅱ)』(96,3)に収録された拙稿です。この2冊の報告書は人文学科改組後、そして法人化前の和やかな研究環境の中で作られた楽しい論集として記憶に残っていますが、今何処で読むことが出来るのか……。
事典と占い--「大雑書」の世界観--
はじめに
手元に『天保新選永代大雑書萬歴大成』なる本がある。妙に誤植の多いこの本は、一般に「大雑書(おおざっしょ)」と呼ばれるもので、発生・展開について研究があるのかどうかも私は不案内なのであるが*、著者、印刷所、発行所は共に神宮館、初版は1952年。私の持っているのは1982年、14刷のものであり、注文すれば現在も簡単に新刊で手に入る。しかし、角書に見えるように、この本は、実際には江戸時代(『国書総目録』によれば、1842(天保13)年成立)に編纂されたもので、昭和の新刊書ではない**。幕末から明治・大正を経て、150年以上に亙って繰り返し出版され続けているのである。
問題は中身であるが、近世日本で考えられる限りの暦と占いの総合百科事典とでも言うべきものである。自然現象や手相、人相、夢など、様々な易占は日本でも古来行われてきたが、この本はそれらを網羅し、庶民に供するものであった。上にも書いたように、先行研究の有無の確認なしに述べることになるが、恐らくは、個別に存在した易占関係の書物をもとに、「節用集」や冊子体の暦の欄外付録記事の形式を発展させていった結果の到達点ということであろう。
今、ここで、この本にどのような項目が存在するかを列挙するのは控えなければならない。というのは、上下2段のこの本には、上段に127項目、下段に202項目の記事があり、とても紹介しきれないのである。むしろ、ないものを挙げた方がいいかもしれない。例えば西洋占星術と血液型判断は、ここにはない。
*『日本古典文学大辞典』(岩波書店 ’83)「大雑書」の項(花咲一男氏)によれば、「大雑書」は、「陰陽・暦・天文など人間万端の行為を律する教範の書」であり、「雑多な項目が吉凶禍福を根底に記述されている」ものということになる。同記事によると、「大雑書」そのものは1600年代前半に既にあり、1750年代あたりから「陰陽・暦・天文以外の項目が増加」、大全化されて、幕末、近代に至るという。
** 序文には「文意に大改定」をしたとあるが、活字に改めた程度で、ここで問題にする程のことではないので、以下、本書によって論を進める。
易占の2様
今、西洋占星術と血液型判断はない、と書いたが、実は、他にもここに無いものがある。そのことを考えると、占いの形式に、大きく2つのタイプがあることに気付くことになる。即ち、カード占いや、亀卜、筮竹による占い等のような、人の行為によって生み出された結果としての何らかの表象を判断の材料にするものと、占星術・手相・血液型等のような、予め存在する表象を判断の材料にするものとの2様である*。そして、「大雑書」には、前者に属する占いは掲載されていない**。
勿論、そうした占いが江戸時代に存在しなかったわけではなく、亀卜や筮竹による占いのような専門的なものだけでなく、所謂畳算や擲銭占い(貨幣を複数投げてあ表の出方で占うもの)のように、素人でも楽しめるものもあったし、その解説書も存在している。しかし、どうやら、当時の日本の占いの主流は後者であったらしいし、今でも人の好む話題は後者であるように見受けられる。以下、本稿では、後者、即ち「大雑書」にあるような占いの持つ意味、事典類との関わりについて考察を続けていくことにする。
その前に、遠回りするようだが、次節では日本の辞書の展開を、本稿での問題にそって大雑把に押さえておくことにしよう。
* 前者には、更に、水晶占いや霊媒など、専門的な占い師の内面にのみ現れ、余人の確認不可能な表象を材料とするものもあり、これはこれとして別
に分類すべき、本稿に関わる非常に興味深い問題があるが、問題が拡散するので、取り敢えずここでは触れないでおく。
** 本書の最終項目は、「御籤」で、前者に分類できなくもない要素を含むが、これが掲載されておることについては後述する。
日本の辞書
この特定研究の昨年の『研究成果報告書(Ⅰ)』所収「日本の辞書」(望月郁子氏)によれば、日本の辞書の歴史は、漢字・漢字文に精通するために発生したもので、初期は和訓や字形によって分類され、読み書きの実用に供するものであったという。
ところで、我々が漢字を検索する場合に、幾つの方法があるだろうか。音・訓・部首・字形(四角号碼)、そしてこれらに総画数を併せて用いるのが普通であろう*。発音で引く場合は、音読・訓読(和訓)の他に、中国音があり、それらが、50音・いろは・アルファベット等の順に配列されている。ところが、古典時代の辞書、所謂古辞書には、古来もう一つの分類法が強く存在し、我々現代人の検索を困難なものにしている。即ち、「天地・人倫・形体・疾病・術芸……」といった部門別の配列、「意義分類」の存在である**。この分類方法は、これも昨年の『研究成果報告書(Ⅰ)』所収、「類似累累類型類書」で小栗英一氏が述べているように、中国の類書などに既にあったもので、若干の改変を加えながら歳時記などに今も受け継がれているのであるが、「字引」としては分かりにくいものであるのは確かで、江戸時代の庶民向けの節用集では、採用されないか、採用されたとしても、それぞれの項目について、時には絵入りで具体的な説明がなされている。そうしなければ普通の利用者には解らないからである。
「字引」としては、というところが問題である。「意義分類」では、音(漢字にとって「音」とは何か、という問題は残るが)や形といった表象によって分類配列し、検索・実用に供せられるはずだった辞書の文字が、その表象の指し表す意味内容によって再配列されてしまっている、つまり、文字の事典でありながら、文字が指し示している事象についての事典になってしまっているのである。尤も、これは、漢字の多くが表意文字であり、意義分類が結果的に部首分類と非常に近いものになるという事情もある。つまり、指し示された実体が文字という表象になったのであって、その意味内容の分類によって文字を分類する方が文字の本質的な分類に近付く、と考えたとしても無理はなかったのである。
一方で、古くは『和名類聚抄』(源順、934(承平4)年あ成)、近世の『和漢三才図会』(寺島良安、1713(正徳3)年序。明の『三才図会』に倣ったもの)等の百科事典や、類書、歌集、説話集等、「字引」以外では意義分類(部立)が盛んに使われており、現在でも百科事典には50音順の配列と分野別の配列が併存している。また、実際、中国類書やそれに倣った日本の説話集などは、文芸製作の現場で、素材として、また類似説話の情報源として、或いは学問の場で注釈資料として、盛んに用いられていたことも明らかになってきている。このように、文字を検索する読み書き用の「字引」でなければ、この分類方法は極めて有効なのである。
つまり、意義分類の辞書は、前段で見たように、漢字の本質に迫ろうとして「字引」の域を越え、百科事典の領域へ飛び出してしまったものといえる。それがどのような意味をもつのかを考える前に、もう少し、「大雑書」に近い時代の、辞書をめぐる状況を押さえておくことにしよう。
* 崩し字字典などには、筆順や運筆による分類があり、非漢字文化圏の外国人の為の辞書には、更に異なる字形分類が存在するらしいが、表象による分類であることにかわりはない。
** 次節でも簡単にニ触れるが、近世の節用集には、他にも、熟語の音節数による配列など、速く引くための工夫が見られるが、これも、上註と同じことで、ここでは問題にしない。ただし、節用集に限らず、一つの文字ではなく、熟語を引く辞書が存在することは重要である。
江戸時代の「辞書」的状況
江戸時代に入ると、印刷・出版の発達により、書物の量産が容易になると同時に、庶民でも読み書きが可能になり、文学史的に言えば、庶民向け文芸の時代が到来することになる。この背景には、寺子屋の普及等、実際の教育現場の充実だけでなく、辞書・事典に類する実用的な書物の普及があったことを見逃すことはできない。
江戸時代にも「節用集」等の、所謂「古辞書」が多く出版されているが、その形式、内容は、一様ではない。前節で触れたような意義分類による部門立てで、いろは順の読みから引く漢字検索用と思われる辞書も出版されているが、更に早く検索できる工夫もなされたし、漢字の読み書きだけでなく、欄外に様々な知識・情報をもりこむことも行われた。この、欄外付録記事に取り上げられている実用知識の項目の消長は、利用者のニーズ研究の対象として重要なものである。また、それら実用情報を集めた事典類*も庶民向けに大量に出版されている。実用知識百科といった内容の各種「重宝記」、図版を多用して解説を加える、今でいう図鑑に相当する「図彙」の類、歴史百科である「年代記」、地誌・地名辞典の「名所記」「道中記」、「武鑑」から「遊女評判記」に至る各種の人名録、民間療法、文書や冠婚葬祭の作法、和歌、俳諧の作法、付合、歳時記、果ては金魚の飼い方、菊の育て方等々、一枚刷の番付を加えることもできるかも知れない。これに「往来物」や「塵劫記」などの教科書的な書物を含めると、如何に江戸時代(特に後期)の庶民たちが書物から実用的な知識・情報を獲得していたかが分かるし、また、彼らの、知識を体系化して吸収する認識の有り様をも窺い知ることもできる**。
「大雑書」は、こうした様々な事典の一つとして、主に、抽象的、神秘的な分野を担当するものとして存在しているのである。
* 論述の都合でこう書いたが、「はじめに」でも述べたように、発生史的に言えば、実用書の情報を節用集が取り込んだと考えるのが正確であろう。
** 更に言えば、近世には、既に、辞書・事典類の形式を用いた擬作・パロディまで存在する。ここには、辞書的認識を対象化した位相が見えており、興味深い問題があるのだが、次の機会に譲ることにし、本稿では触れない。
百科字彙的世界観
中村幸彦氏*は、享保期(1700年代前半あ)の学界思想界を評して、「百科字彙的色彩に塗りかわって来た」とし、その特色を7項目にわたって列挙している。今それらを簡単に示せば以下のようになる。
1:知識愛好の風潮
2:科学的合理主義
3:階級的な自覚・自我の発見
4:唯物的思考
5:外国及び古代への興味
6:現実日本に対する興味の拡大
7:諸科学・諸芸の儒仏からの独立
無論、これらが確立した、という意味ではなく、近世的限界のなかに兆し、潮流となりつつあったということである。それにしても、『和漢三才図会』の成立や、「はじめに」の註で触れた如く「大雑書」の大増補が、正にこの時期であるように、前節のような事典的・辞書的な書物の量産の背景説明として非常に興味深い指摘である。そして、1700年代後半から、江戸を中心とする新しい庶民文芸が発展し始めるのである。前節で述べた、江戸時代の庶民たちの「知識を体系化して吸収する認識の有り様」を、「百科字彙的」認識と言い換えることも可能かもしれない。
「百科字彙的」認識は、中世まで支配的だった仏教的世界観からも、近世の主流となった儒教的世界観からも独立した、科学的な世界観を胚胎する。中村氏の指摘のように、彼らは、時代的限界はあるものの、科学的・合理的・唯物的な認識によって世界を理解しようとしている。
前節で乱雑に並べ立てた近世の様々な事典的な書物に共通するのは、社会生活に関わるあらゆる事柄を、体系的に分類し、名付け、整理し、書き留めることができる、という発想である。そうしなければその事柄は存在できないと言ってもいい。逆に、存在するものは、微妙な差異によって可能な限り細分化され、体系化され尽くされなければならない。それが、言わば彼等にとっての科学である。
辞書は、既に「字引」ではない。字引として発生した「節用集」も、たとえば『大日本永代節用無尽あ』(堀原甫編、1831(天保2)年**、『節用集大系』第75・76巻、大空社、’95。<底本は国立国会図書館あ、1849(嘉永2)年再刻本>)は、3巻合計435丁に及ぶ大作となり、完全に百科事典になっている。明らかに字引本文を凌駕している付録記事は、前節の実用書的記事を殆ど網羅するもので、「大雑書」と共通する項目も少なくない。そういう意味では、こちらの方がより包括的な百科事典といえる。
さて、ここに至って、漸く本題である「大雑書」へ話を戻すことができる。
* 「風雅論的文学観」(『中村幸彦著述集』第1巻「近世文芸思潮論」所収<書下し>、中央公論社、’82)
** 内容・奥付から推して、静岡大学附属図書館あ(原家旧あ江戸後期芸文資料)の『永代節用無尽あ』は、この初刻本と考えられるが、該書も「河辺桑揚子旧編・堀源入斎遺草・堀原甫続輯」とあり、先行書の改訂版であることがわかる。
世界認識の方法としての占い
未来に起こることは、起こってしまえば既知の事柄と大差がないのに、予めそれを知ることはできない。人間の性格や心の動きは、複雑で捉え所がない。個人差は確かに存在するのに、それを有効に分類して定着させる手立てが存在しないのである。それが人間、それが人生なのだ、と言い切ってしまえば簡単なことなのだが、そうはいかない人たちが多いらしい。そこで考え出されたのが、ここで問題にしている類の占いである。
占いは、予測不可能なはずの未来の出来事の兆しが自然現象の中に存在するとか、人間の性格や運命が生得的にある表象によって暗示されているとか言った前提で世界を理解しようとしている。予め存在する表象を判断して(占って)得られるのは、一言で言ってしまえば「根源的本質」である。
先に、「大雑書」は近世の事典的な書物のうちで、主に抽象的、神秘的な分野を担当する、と書いたのはそういうことである。つまり、全ての実在は、分類整理し名付けることが可能であるし、そうでなければならないのだとすれば、上のような人間の個人差や、未来の出来事といった神秘的領域をも記述する事典が必要だったということなのである。
ここで「大雑書」が採った方法は、手相と性格のように、現在言うところの「科学的」因果関係を証明することは不可能でありながら、確かに存在する複数の差異の集合を、文字と意味内容のように、半ば恣意的に関係づけることで、複雑・曖昧で分類・命名することの不可能な事象を整理し、定位してしまうことであった。
次に少し具体的に本文をみてみよう。
「大雑書」の世界観
「大雑書」本文前半部の殆どは、現在刊行されている冊子体の暦の詳細なものであると考えていい。勿論、一年しか通用しない情報は掲載されていないが、いわゆる「暦の中段」の知識の総論及び各論である。本文冒頭の「暦道或問の弁」の、最初の項目を見ると、本書の思考の一端が見えてくる。長くなるが引用しておこう*。
或人問て曰、「算術をもって天の高きをはかり、暦を作る事、推りゃうの説にして、誰か天へ昇て見し人もあらざれば、天の事を暦にうちまかせて少も違はずとは思ひがたし。」と難ず。暦者答て曰、「否、しからず。暦は往古より世々の博士の考へ作る所なれば、分毫も違事有べからず。近き例は日月の触又は月の盈虚、潮満干の古より今に至まで一日も期を過たざるをもって暦の精妙をしるべし。」
我々は勿論、「天文学」という、れっきとした科学を知っている。暦が、そうした科学の蓄積の上に存在することも然り。しかし、「天文学」が不思議な科学であることにかわりはない。光の速さで何億年という遠い所にあるものを、その何億年たって届いた光や電波によって分析して、この天体はこういう性質の何という星だ、と決める。それが本当にそういうものであることを「本当に」確認することは不可能である。第一、「今」見えているのは光であって、「今」その星が滅んで、「実体」が存在しなくなったとしても、それを我々が知るのは、やはり何億年も後のことなのであって、それまでは我々にとってその星は「存在」することになるのだ。そういう、実体を確認することが不可能なものを「光」という表象によって分類し、名付けていく。名前の付けられていないものは即ち存在しないものであって、天文学の最新ニュースは、新しい天体の発見・分類・命名である。そして、それ等の蓄積から、宇宙の始原・本質、更に未来までもが明らかになっていくのだという。
現代の我々でさえ、これを俄には信じられないのだから、近世の「或人」の問い掛けは誠にもっともである。彼とて、「算術」を疑っているわけではないのだ。問題はその次に起こる。天体の運行は積年の観察と分析によって予測可能なものに整備されてきた。そうなると、次は天気予報が可能になるはずだ。これも、現に今では科学的な観測によってかなり予測ができるものになっている。それでも例えば漁師たちは今でも、自分たちの経験の蓄積による気象の変化の予知の方がTVの天気予報より「当る」という。
近世の庶民にとって、天体の運行の予測と、天気の変化の予測は大差がないと言っていい。そうなれば、人間の運命も同じ事なのだ。
凡万物悉く一理を備たれば、万の物の上には万の理あり。君は政道を正しうして民を治る理、民は耕作して貢を納る理、神は此世を守玉ふ理、仏は後世を救ふ理、冬は寒き理にて夏は暑き理、吉日は福を下す理、悪日は殃を下す理也。
これも、同じ「或問」のからの引用である。神儒仏も、科学も、ここでは一体である。この意味で、本書巻頭の口絵に科学的な世界を示す「渾天儀之図」と仏教的な世界を示す「須弥山之図」が並べて掲載されているのは象徴的である。これは「百科字彙的」思考の当然の帰結であって、これこそが彼等にとっての「科学」なのだ。
その結果が、陰陽五行・十干・十二支・廿八宿・八卦・十二直・六曜・七曜・九曜・四季、等々の様々な分類の複合による時間・空間の分割である。
例えば、ある人物が生まれた時に関してどれだけの占い方法があるか、節を改めて検索してみよう。
* 以下、底本は冒頭に挙げた活字本。明らかな誤字、拗音・促音などの表記小字は注記なしに直し、私に句読点・かぎかっこを付した。
占いの実例-1 人の分類
人の生れた時に関わる占いの中心は、下段の[127]から[137]までなので、ここについて、私を材料にして占ってみる。私は1961(昭和36、辛丑)年9月8日生まれ、夕方に生まれたように聞いているので、仮に、午後6(酉刻・暮れ六ッ)時あとしておこう(今は便宜的なものなので、新暦・満年齢のままで見ていく)。
[127]は「生年吉凶 并守本尊の弁」である。これによると丑年の守本尊は虚空あ菩薩、前生は赤帝の子で、「うまれつき才気ありて弁舌よく、応対事をよくす」云々。「命は七十三にて死すべし。」とまである。一生の総論的な記述である。
[128]は「生れ月吉凶の事」。ここには前世の因果が書かれている。
九月に生るゝ人は前生にて珍らしき菓子と花とを仏に供養し、又縊て死んとするものを助けし功徳にて、今生にて衣食あまりあり。又、寺にて油三升かりて返さゞるむくひにて父母にはやくわかれ、その身も目をば煩ふ事あり。慎むべし。
[129]「生れ日善悪の事」。これは、30日を大陽・大陰・天父・天母・天帝・天皇の六日に分類している。8日は「大陰日」である。これも生れ月とほぼ同量の記事があるが省略。内容は、主に、居所・財産関係。
[130]「生れ時善悪の事」。これは十二支によるので、午後6時は酉の時の項を見る。性格とそれに伴う運命の記事が中心。
[131][生れ年の生れ月によりて身上財宝家督の有無を知る事」。今度は生れ月の十干をもちいる。辛の年の9月は「困禄」。12分類の中でも最も悪いもののひとつ。
[132]は、「弘法大師四目録の占」。これは、年齢と、占いをする月・日・時の数を合計したものを八卦に分類するもの。例えば、34歳の私が2月27日8ッ時に占う場合は、34+2+27+8=71、これを8で割って8あまり7なので、「艮」。これによって、得物・待人・出行等、19項目の運勢がわかる。例えば、今、「失物」は「人とり人にわたす」。
[133]は「皇帝四季の占」。生れた季節の春夏秋冬別に、「皇帝」の図の頭・肩・手・あ・股・膝・足に十二支(頭と股以外は左右なので12になる)が配置される。丑年の秋生れは、左あなので、あの項を見る。これも、職業・財産などの記述。
[134]「九曜の星歳々吉凶の考」。これは、年齢でその一年を占うもの。34歳は「火曜星」で、災難多く「万をつゝしみ年のおはるをまつべし」とある。
[135]「男女渡橋の占」これは、男女別、五行と生れ月の組合せを12の橋に分類するもの。五行は[117]「六十図生れ性早ぐり」によって、例えば、辛丑なら庚子とともに「壁の上の土」という、最も拙い性([118]の解説)である。で、「土性」の9月生れの男は「第6橋」にあたるのでこれをみると、「此はしにあたる生れは子の縁なく一人もそだちがたし云々」と、子供についての占いになっている。
[136]「新増補三世相明鑑」、これは、十干を10の枝に例えたもので、辛は「虚部枝」にあたる。これは、「三世相」、つまり前世・現世・来世の諸事に関する記述。
[137]は「人々学問の有無を考例」、十二支と生れ月によって「建・背・空・破・向・合」に分類される。丑の9月生れの学問は「空学」。読んで字の如し。
ざっと見ただけでも相互に矛盾のある事が分かるが、それにしても様々な考え方が存在するものである。更に[134]のように、占う現在時などを組み合わせるから、もっと複雑になるわけである。こうして、時間だけでも、様々に細分化すれば完全に一致する人間は、そう世の中にいるものではなくなってしまう。
これに、人相・手相など、形態の分類が加わる。手相は、手のひらの筋だけでなく、血色や膨らみ具合、指紋の渦などまで分類の対象になる。人相は、頭の形に始まり髪の生え方・顔の色や皮膚の状態・額の形状・印堂(眉の間)・天庭(額)の紋・眉・目・鼻・口と歯・耳・ほくろ、そして総体について、それぞれを細かな差異で分類する。
このようにして人間は、様々な要素によって細分化され、個人は別の個人と異なる個性を持つことが科学的に証明されることになるわけである。
占いの実例-2 その他の占い
人間の分類より、更に重要なのは様々な行為・現象の吉凶である。商売や農作業をどの日に行なえばよいか、どの方角に行くのがよいか、それに、前にも述べ
た、天候の変化の予知といった問題。これらも、やはり干支や様々な自然現象によって分類する。干支の組合せによるものは省略して、短いものをいくつか拾ってみよう。
四方に青白き雲あれば雨なり
夏の南風は晴のしるしなり、秋の西風は雨の徴とす
二月に雪降りて七日消えざれば百果実のらず、秋穀実うすし
冬の地震は来年豊年也
東に電あるは大雨のしるしなり
立春の日艮より風吹くばその年豊年にして五穀よくみのる
烏水をあびる時は雨の降る徴なり
犬草をかめば晴天のしるし也
朝おきて気重くおぼゆるは雨の降しるしなり
灯に花生じて一更にいたりて消ざれば近きによろこび有
こうして並べてみると、かなり、理にかなったものもないではないが、信じがたいものも混じっている。更に、夢の判断がある。紹介しようにも切りがないので、このへんで終わりにしておこう。原理はどれも皆、異なる差異の集合の関連づけである。
こうした判断の他に「大雑書」には、ある種の生活の知恵の、本当に実用的なもの、例えば、薬の製法や染み抜きの方法、美容術なども混じる。ただし、それらも、すべて本当に有効かは疑問で、一種まじないに近いものが含まれている。
その「まじない」はかなり詳しく載せられているが、本書では、基本的に呪符の書き方に限られる。呪符の書き方は、願い事や平癒したい病気の種類等にあわせて細かな分類がある。このようなまじないの存在は、運命が表象にあらわれているだけでなく、呪符という特殊な表象によって、あたかも薬で病気が治るように運命を変更できるという、表象と本質の相互作用を認める思考を示しているといえるだろう。
それから御籤。100枚の籤の文面が掲載され、あの作り方、籤の引き方から説明がある。籤の本文は、最上段に例えば「第一大吉」等の番号と吉凶、2段目は4行に別れて、五言四句の漢詩になっている。次の段はその和解、いちばん下は総論および各論である。[202]「御籤判断心得之事」によれば四行の詩は、一代に当てはめれば、一行を15年と考え、60で本卦に帰る、一年に当てるなら、それぞれを四季に、一月ならば7日ずつに対応させるという。つまり、前に占いを二分した時に、「御籤は前者に分類できなくもない」と書いたが、籤を引く行為の偶然性はあるものの、その外は非常に細かく規定され、分割されたもので、いわば、その一瞬に籤を引いた者のの運命として100通りが定められているのである。
事典と占い
「大雑書」については、まだ紹介しきれていない様々な要素がある。しかし、占いと事典が非常に近い関係として存在することは、かなりはっきりと見えてきたように思う。
実を言うと、中村幸彦氏が「百科字彙的」という時には、具体的に事典類を指しているというより、各種文芸の中に現れた思潮としての意味合いが強い。本稿では、その考えを事典そのものに援用させて戴いたわけだが、前にも述べたように近世の事典類の量産が、そうした傾向と密接に関わっていること、そして、それらによって当時の人々がそのような認識を受け入れていたことも見えてくる。
目に見えるものも、見えないものも、すべての事柄を分類整理し、記述すること、そのことによってのみ、我々の世界は認識され、存在が保証される。手にとって確認できるものは簡単にそれができるが、そうでないもの、抽象的・神秘的な領域にも、同じ方法が可能なことは、天体の運行が予測できるのだから当然である。こうして、例えば、人間の個性という一つの差異と、手のひらの複雑な差異とを恣意的に結びつけてしまう。否、現在の科学では証明できないが、統計的にはそのような結果が出るのかも知れず、強ち恣意的とばかりは言えまい。いずれにしても、人間に生得的に備わった、目に見え、明らかに示せる差異と、抽象的・神秘的差異とを結びつけることで、分類不可能だったものを定位することができるようになったのである。
かくして、表象を読み解くことで本質を発見するのではなく、表象こそが本質を規定してしまう事態に至る。本質は、分類によって、明らかになるのではなく、発生するのである。ここまでくればまじないの有効性も期待できることになる。
それにしても、それは非科学的だと、どうして言えるだろうか。前にも触れたように、我々は光によって星を見ている。大陽でさえ、今見えているのは数分前のもので、今、そこにはないのだ。今手に取っているこの本は、確かな実体だと、どうして証明できるのか。まして、液晶画面の文字とは何なのか。古典的な懐疑論を蒸し返そうというつもりはない。彼らにとって科学的であった「百科字彙的」思考は、それはそれで重要な存在意義があったし、今の我々に対しても問い掛けるものがあるということを言いたいのである。
むすびにかえて
半ば余談になるが、最後に「大雑書」にはない血液型判断について触れて小考を終わることにしよう。血液型判断は、A・B・O・ABという4区分によって全ての人間の性格や運命が分類可能であるという非常に便利な分類方法である。勿論科学的根拠はなく、性格判断や占いに取り入れて強い支持があるのは日本くらいのものらしい(海外の実情を調べたわけではないが)。問題は、この判断方式が、現在のように支持され続けたならば、いずれそれは、「男/女」の分類が、「男であること/女であること」を規定し、あたかも本質的な差異が存在しているかのように見えてしまっているのと同様、「本質」になり得る、ということなのである。
ここに来て再び確認しなければならないのは、「科学的」か否かということさえ最早効力のない問い掛けであるということ。科学は占いのようなものだし占いは科学だとも言える。「本質」は、分類と命名の後に発生するものであり、「本質」を求める行為とは中心への遡及ではなく、表層をめぐって限りなく細分化していく言説の堆積であって、言うなれば、玉葱の本質は、中心にではなく、泥にまみれた一枚目の皮にこそあるということなのである。
乱暴な論になってしまったが、「大雑書」は、そのことを私に教えてくれた。
参考文献
本文中に掲げた文献の他に特に参考にした文献が存在するわけではないが--それは不勉強以外の何物でもないのだが--手元にある関係書を掲げておくので参照されたい。
『江戸時代の科学』(東京科学博物館<国立科学博物館>、’34<’95、3復刻、名著刊行会>)
『占いとまじない』(別冊太陽73、’91、5、平凡社)
『日本の暦大図鑑』(図説百科3、’78、10、新人物往来社)
『事典の語る日本の歴史』(大隅和雄氏、そしえて文庫14、’88、10、そしえて)
尚、本文でも紹介したように、本学附属図書館の「原家旧あ近世後期芸文資料」には、所謂文芸書の他に、当時の節用集や地誌、往来物、更に『人相独稽古』といった占い関係書等、貴重な資料が含まれているので、この場を借りて、活用を促したい。