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映画『ローマの休日』で、オードリ・ヘップバーン演ずる王女様が、父親の仕事を聞かれて「一種の渉外係ね」と答える場面があります。彼女はこっそり抜け出して街中の暮らしを経験する冒険に出ているので、直接「王様」と言えない事情があるわけですが、この「渉外係」という定義はかなり的を得ているようにも思います。

学長に就任して約3ヶ月が経過し、この職もまた「渉外係」としての役割がかなりの部分を占めていることを実感しています。様々なレベルでの対外的な連携に関わる式典や会議、シンポジウム等でご挨拶したり、懇親会の場で参加者の皆さんとお話しする機会があり、大学という機関がいかに多くの関係者の協力を得て成り立っているのかがよくわかりましたし、大学を代表する「渉外係」としての役割の重要性を改めて認識した次第です。

しかし神的権威を背景とする「王様」とは異なって、一個人が組織を「代表」するという仕組みには対内的にも対外的にも常に矛盾する側面が含まれています。「公」的な存在である組織を一「私」人が代表するという矛盾です(有名なカントロヴィッチの『王の二つの身体』は王様にもこのような矛盾があると言っているわけですが)。例えば学長の挨拶は純粋に「公」的な内容のものであるべきかもしれませんが、「私」人としての個性をまったく欠くものであれば、面白みや魅力のない無味乾燥なイメージを与えるものになりそうです。しかし、逆に「私」的見解をあまり前面に出せば、組織の「代表」としての役割を果たすことはできなくなってしまいます。

最近目にしたT. H. Breenの"George Washington's Journey: The President Forges a New Nation"の書評(New York Review of Books May 25 2017)によれば、アメリカの初代大統領ワシントンは、「合州国」として独立したとは言え、まだ「州」への愛着が「国民」としてのアイデンティティよりも優位を占めていた時代に、「王とは異なった意味での国民の代表」としての「大統領」という職務の確立にきわめて自覚的であったようです。彼の副大統領であったJohn Adamsが「彼は最も偉大な大統領ではなかったかもしれないが、確かに大統領という職をもっともうまく演じた役者には違いない」と言っているのだそうで、実際ワシントンは個人的にも観劇が趣味で演技には深い関心があったようです。世襲の「王」以外に「代表」を知らない同時代の人々に対して、「いつでも権力を手放す用意があることを示すことによって権力を得た」(これはアメリカの歴史家Garry Willsのワシントン評)一私人というまったく新しい「代表」像を示したというわけです。

福沢諭吉が渡米した際に、「ワシントンの子孫はどうされているのか?」という質問をしたのは、彼がまだ世襲の「王」以外の国民の代表を知らなかったからですが、それに対する「ワシントンの子孫は普通の市民として生活しています」という米側の答えを聞いて、彼は新しい時代の「代表」のあるべき姿を学んだと言っています。『ローマの休日』の王女は、最後の場面で、「訪問したどの国もそれぞれに興味深いものでした」という「公」的見解を表明させようとする侍従の助言を断固としてはねつけて、小さな恋も含めたローマでの「私」的経験を優先して「最も想い出深い場所はローマでした」と言い放ちます。しかしそれと同時に恋人の新聞記者を振り返ることなく記者会見の場から立ち去り、彼女の王族の一員としての「公」的義務を果たします。そしてこの彼女の凛とした「公私混同」の姿勢は、実に美事に世襲の「王」としての役割を越えた新しい「代表」のイメージ(これを「象徴」と呼んでもよいかもしれません)を与えるものとなっています。

やや大げさな話になりましたが、自分自身小なりと言えども世俗的「代表」という役を演ずる立場になってみて頭に浮かんだことを少し書き留めてみました。このブログも含めて引き続き良い意味での「公私混同」につとめて行きたいと思います。