啐啄同時


啐(そつ)は卵からヒナがかえるときに殻を中からつつくこと、啄(たく)は母鳥が外からつつくこと。啐啄同時(そったくどうじ)は、殻が割れるのは両者が同期したときであることを意味し、禅語の一つされている。子と親、部下と上司、妻と夫などは、関係性が最初にあってそこから生まれる対立する言葉である。同じ人が子であり部下であり妻となる。それぞれは関係性のある他人との相互作用があった瞬間のみの名称ということだ。親との関係性が出た瞬間に子になり、上司との関係性が出た瞬間に部下になる。
  学生と教員も同様だ。これから社会のチームメンバーに加わってくる学生に、教員はこれについてものの見方を伝えたいと思って説明を工夫しようとし、学生はそれを聴いて自分のイメージを創ろうとする。学生にはそれぞれイメージの湧き方が違うので、教員は複数の方向からの見方を話さなければならない。学校での啐啄同時は、教員が伝えようとしたことを学生がイメージした瞬間のことだ。残念なのは、講義では1人対50人、100人なのでその瞬間に出会ったと認識できないこと。認識できないからといってそういう瞬間がなかったとは思えない。幸運なのは、卒業研究では一対一なのでたまにそういう瞬間だと思うことがあるとき。自分が自分の先生たちから教わったことを次に来る人たちに伝えられたと思うときに、時空を超えたつながりを感じることができてHappyな気持ちになる。(2018/4/22)

 

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