図書館(静岡大学附属図書館 浜松分館)

静岡大学には2つの図書館があります。静岡本館(静岡キャンパス)と浜松分館(浜松キャンパス)です。

図書館には119万冊の図書があり、そのうちの31万冊が浜松キャンパスの浜松分館にあります。授業期にはおおむね開館しており、図書の利用のほか、レポート等の課題を作成することができます。静かに集中できる個人ブースから、仲間と議論できるグループ学習室まで、多彩な学習環境を整えています。レポート作成や研究に欠かせないサポートも充実しており、学生の学びを支えます。

学生証をタッチして入館します。

入口にはスタッフも常駐しており、わからないことを質問できます。また、静岡キャンパスから取り寄せた本をここで受け取ることができます。

浜松キャンパスには情報学部のほか、工学部もあり、情報系、工学系のほか、文学、文化、社会などの本も多数所蔵しています。

図書館には個人ブース、静かな学習スペース、グループ学習室もあり、さまざまな学習に配慮しています。

長時間座っても疲れにくい椅子や自然光が入る空間などにも配慮されています。

また、浜松分館は「読書テラスのある図書館」として、キャンパスの中央に置かれて多くの学生から活用されています。

試験前には多くの学生が集まる学習の中心地、それが本学図書館です。Wi-Fiも活用でき、友人と意見交換できる場所もあり、論文作成を支援するスタッフもいます。勉強も研究も、ここから始まります。

図書館内にあるネーミングライツのエリアは、株式会社小糸製作所によって「KOITO LIGHTING AREA」の愛称となり、ヘッドランプ等の製品が展示されています(セレモニーはこちら)。

図書館には開架(かいか)図書以外にも、閉架(へいか)書庫があり、より専門的な図書が保管されています。手続きの上、その図書を閲覧することができます。

ITソルーション室の活動

「情報学部 ITソルーション室」の紹介をします。

この団体は情報学部公認学生ボランティア団体で、おもに情報学部の学生から組織されています。

一言で説明すれば、無償でPC相談を受け付け、解決のアドバイスをし、授業の補助を行う学生の団体です。

・構成(学科、学年、性別)

所属学科

大学院 5
情報科学科 30
行動情報学科 10
情報社会学科 10
その他 5

合計60名程度です。

 

今年の学年

1年 20
2年 10
3年 15
4年 10
大学院 5

 

男女

80%
20%

・主な任務

情報学部2号館1階の「ITソルーション室」(西側エレベーター前)に待機し、学生のPC相談に当たる、というものです。

ITソルーション室は、情報学部2号館1階の「ITソルーション室」(西側エレベーター前)に位置します。学生がボランティア活動として部屋を開放し、 学内で発生するPCに関連するトラブルに無償で対応します。

主に情報学部の学生によって組織されているため、もともとは情報学部の学生を対象にした団体でしたが、 現在では工学部や教員、職員、留学生からの質問にも対応しています。事実上、「浜松キャンパス全体のPC相談室」として機能しており、日々多くの質問に対応しています。

静岡大学の学生・教員・職員のかたであれば、どなたでも歓迎しています。これまで、年間100から200件程度の質問がありました。ボランティア団体なので、どのような質問でも無償で受け付けています。ただし、レポートや課題作成や学生の個人的なプロジェクトの手助けといったものは受け付けておりません。

PCの不調や設定、ソフトウェアの使い方など、 PCに関連する相談について対応しています。課題やレポート作成の手伝いなど、学内の規定や倫理、法律に抵触する内容でなければ、基本的にどのような内容でも受け付けます。

対象としている相談内容は、PCの不調や設定、ソフトウェアの使い方、などです。例として、以下のような質問は頻繁に持ち込まれます。

1.wi-fiが繋がらない
2.学内のネットワークが不通
3.プリンタが使えなくなった
4.PCのハードウェアが調子悪い
5.総合ソフトOfficeの使い方がわからない

トラブルの発生している機器を持ち込んでいただければ、相談内容を聞き取りながら、解決に向けて最大限サポートします。

・指定機種以外への対応

大学指定PC以外の機器への対応もITソルーション室では対応しています。

情報学部と工学部では指定機種が異なり、また、学年によっても異なるので、さまざまなPCが浜松キャンパスでは使用されています。指定機種ではない機種を購入しているかたも一定数います。

「高校時代から使っているPCがある」というかたもおられます。「買いやすいものを買って入学した」というかたもおられます。いずれにしても、これまでのところ問題ありません。Windows11が動いているものであれば、どのような機種でも対応しています。

Macを使用する学生も一定数います。ITソルーション室ではWindows以外のOSが搭載された機器に関する相談も受け付けていますが、授業で使うソフトウェアとの兼ね合いから、基本的にはWindows OSを推奨しています。

・1年生への対応

ITソルーション室では、どんな初歩的な質問に対しても対応しています。PCに全く不慣れな1年生であっても、困りごとがあればITソルーション室を気兼ねなく利用することができます。

1年生に多い質問として、授業で使用するソフトウェアの使用方法や学内のシステムを利用した課題の提出方法などがありますが、そのようなトラブルに対してもサポートを提供しています。

課題やレポート作成の直接的なお手伝いはできませんが、そうでないトラブルについては対応しています。

・授業で使うソフトウェアの使い方に関わる相談はあるのか

時々あります。必要な範囲で相談に応じています。1年生でも安心して授業を受けることができると思います。

・ITソルーション室のメンバーはどうやってPCに関する知識、技量を身につけているか

ITソルーション室の室員には、入学時から高度なスキルを持っている人もいますが、多くは最初は全くの初心者の状態です。

初心者の室員は、他の室員が質問に対応している様子の観察や不定期に開催される勉強会などを通じて、スキルを身につけることができます。また、室員に対しては蔵書、資料の貸し出しも行っています。

このようにして、ITソルーション室では、多くの室員が最低限のスキルをもってトラブルに対応できるようにしています。

もし対応が難しいトラブルが持ち込まれても、複数の室員で対応するなど、できるだけ多くのトラブルを解決できるように努めています。

・室員になるのに条件はあるのか。どんな人でも入室できるか。

唯一の条件は静岡大学浜松キャンパスの学生であることです。その他の要件は設けていません。

室員になることで発生する義務や会費もありません。
室員になることで、先輩とのコミュニケーションやトラブルに対する対応、その他の活動を通じて、多くのスキルを身につけることができます。

・このITソルーション室から発展した活動はあるか

ITソルーション室では、相談対応以外にも室員の積極的な活動を推奨しています。
学外で開催される様々なコンテストへの出場や大学祭と同時開催される「テクノフェスタ」で、日ごろの成果を展示するなどの活動をしています。

外部の活動においては、さまざまな受賞実績もあります。
大学内でも、PCに関する知識と指導力を認められ、TA(ティーチング・アシスタント)として、授業の補助員に任命されることもあります。

・このITソルーション室に参加していた人はどういう進路を取っているか

室員は進路としてIT企業にエンジニアとして就職することが多い印象です。IT企業と言ってもさまざまですが、企業を対象としたIT企業ではなく、個人を対象としたIT企業、具体的には、Yahoo、SoftBank、メルカリなどの企業が挙げられます。

案件相談やその他の活動を通じて、PCに関するスキルを身につける人が多く、それを生かした就職が目立ちます。

許山研究室

許山研究室は、言葉がどのように使われてきたか、文化がどのように伝えられてきたか、について研究しています。
(本記事の画像内の卒業生には、個人が特定されないよう加工を施しました)

卒業研究

過去には以下のような卒業研究がありました。

・日本と中国における母子環境の研究–出産と育児に関する問題意識をめぐって–
日本は少子化に直面し、中国は人口増加に直面して、互いに相反する問題を抱えています。母子環境はさまざまな問題があります。その一つ一つについて、それぞれの政府がどのような対策を立てているかを検証し、たがいに参考になる施策があるのかを検討しました。

(熱海でゼミ合宿しました)

上海租界と横浜居留地–異文化流入による町並みと暮らしの変容–
大航海時代を経て、諸外国がアジアにまで押し寄せる時代に、上海と横浜はほぼ同じ時期に開国政策を行いました。その際、どのような土地政策を実施したのかを検証しました。情報社会の中で、我々の現在の生活も、当時とある意味では同じ状態にあるといってよいでしょう。どういう社会にすべきかを意識した研究になりました。

(卒業研究合宿で寸又峡に行きました)

・世界の条件付き説話の諸相–タブー型と難題型を比較して–
説話にはさまざまな類型があります。「……しないでください」というタブー型には「鶴の恩返し」などがあります。逆に、「……してみろ」という難題型には「娘の助言」などがあります。それぞれどのような種類があり、どういう構造をしているかを調べました。

・土産物における元祖品と模倣品の系譜
観光地を含め、さまざまなお土産ものが売られています。そのなかで、「元祖品」というべき代表的なお土産商品と、それを真似たと思われる「模倣品」に着目しました。そのなかでも、模倣品は二種類に分かれ、模倣しながらも向上を目指した「創造型模倣商品」と、安易に模倣しただけの、消費者を騙すような「ルアー型模倣商品」があることを述べました。

 

自主ゼミ

許山研究室では、授業の中国語に飽き足らないひとのために、「自主ゼミ」を開催することがあります。教科書に書かれた「人工的な中国語」ではなく、「ナマの中国語」を読んでいく会です。卒業単位にはならず、予習も必要ですが、参加を歓迎しています。

要望に応じて読んでいくものは変わりますが、許山先生が好きな文体の作家が巴金(1904-2005)なので、当初は巴金の『随想録』を読んでいました。半分くらい読んだところで、同じ巴金の小説「啞了的三角琴」(邦題:バラライカの思い出)を読みました。その後は、中国人のブログなどを読んで、中国語読解力をつけるとともに、中国人の思考様式を考えていきました。

学期末にはみんなで中華レストランに繰り出したりもしました。

この自主ゼミに限らず、許山研究室はよく食べよく飲みます。

学生といっしょに行くこともある研究

許山研究室では、言葉や文化に着目し、分析して卒業研究に結びつけています。その一環として、研究室のメンバーやその他の協力者と石碑に記録された記述を解読しています。

今回、ご縁があって、富山の石碑を調査しました。
富山で創業した「佐藤工業」の創始者佐藤助九郎に関する石碑が富山にあります。これは漢文で書かれています。その一部を紹介しましょう。

翁姓佐藤稱助九郎越中礪波郡開發邨人元龜天正間佐藤助九郎者來往本邨實為翁八世祖中世稱助三郎至翁復舊翁尤精土木文久三年修理常願寺川明治後官命翁修河身築堤防其功立成測量詳密構造堅牢蓋越之為地大河交流大雨至則水勢暴漲壞崖決隄民不免昏墊而今日絶其患者翁之力也(以下、省略)

漢文なので、本来、句読点も送り仮名も返り点もありません。訓読すると以下のようになります。

翁、姓は佐藤、助九郎と稱す。越中礪波郡開發邨(現在の富山県砺波市東開発附近)の人なり。元龜天正(室町・戦国時代の年号)の間、佐藤助九郎なる者本邨に來往す。實は翁八世 の祖為り。中世、助三郎と稱し、翁に至りて舊に復す 。翁尤も土木に精しく、文久三年常願寺の川を修め理む。明治の後、官、翁に命じて河を修せしむ。身ら堤防を築き、其の功立ちどころに成る。測量詳密にして構造堅牢、蓋し越の地為る、大河交も流れ、大雨至れば、則ち水勢暴漲し崖を壞し隄を決し、民昏墊 するを免れず。而して今日其の患を絶する者は翁の力なり。(以下、省略)

漢文で書かれた石碑は日本に多数残っており、その調査に時々出かけています。

情報社会学科で学んだ思い出(Sさん)

 (この記事内の画像は、個人情報に配慮し、承諾のないかたのものには加工を施しました)

もう20数年前になりますが、私が入学した当時、情報社会学科は静岡大学情報学部の中でも新しい学科でした。新設の情報学部棟が完成し、4年間を浜松キャンパスで過ごせるようになり、整った校舎と最先端の設備に胸を躍らせて入学したことを覚えています。(同級生と約20年ぶりに再訪して。向かって左から2人めがSさん)

講義は幅広く、情報学に加えて、コミュニケーション学、社会学、経済学、文学、心理学、ジェンダー論など多様な分野を学びました。授業の一環で浜松まつりに参加したこともあります。地域の方々が最も盛り上がる行事を客観的に観察し学ぶのは、地域に根ざした大学ならではの経験でした。新しい学科ということもあり、新聞社や企業出身など実務経験の豊かな先生方が多く、実践的な視点から学べたことも印象に残っています。

大学1年の夏には1か月間の上海留学を経験し、それをきっかけに中国語や中国文学に関心を深めました。

(安徽省蕪湖の李白紀念館にて。向かって左がSさん)

3年生からは許山研究室に所属し、中国からの留学生との交流を通じてリアルな中国文化に触れ、中国の小説や随筆を読み進めました。3年生の夏に滞在した安徽省蕪湖は、華やかな上海とは異なる静かな街。日本語に頼らない生活に戸惑いながら「日子難過」(巴金『随想録』に登場することばで、「つらい」の意)と呟いた日を思い出します。こうした随筆も、原文で味わえるようになりました。

(勉強会のあとの手巻き寿司パーティ。向かって左がSさん)

ゼミでは、勉強の後に鍋を囲むのが恒例でした。大量の文献に囲まれ、議論を重ねながら鍋をつつく、そんな温かな時間が懐かしいです。

卒論では、初めて100ページ近い論文執筆に挑みました。論文の形式、参考文献の扱い、根拠の示し方、結論の導き方まで、すべてが学びの連続でした。友人たちの卒論も個性豊かで、データ収集や助言を互いに支え合いながら乗り越えた日々は、かけがえのない思い出です。

(卒業研究合宿を終えて、大井川鐵道のなかで。向かって右がSさん)

40代半ばとなった今、久しぶりに大学時代の友人と浜松キャンパスを訪れました。情報学部棟、学食、アパート、アルバイト先、浜松城を巡る中で、当時の情景が次々と蘇りました。LANケーブルをつないで夜遅くまで課題に取り組んだラウンジは、今も変わらずそこにあり、学生時代を象徴する場所です。

(久しぶりに大学内を散策)

大学の4年間はあっという間でしたが、人生の中で最も自由で充実した時間でした。学びを通して世界が広がり、全国から集まった仲間や恩師との出会いが、私の人生をより豊かにしてくれました。

社会に出てからも、大学で培った「考える力」「伝える力」「つながる力」は、仕事や人間関係の中で活きています。情報社会学科で過ごした日々は、今の自分を形づくる大切な土台です。

韮山反射炉(s)

静岡県伊豆の国市にある「韮山反射炉」に行ってきました。「反射炉」とは金属を溶かし大砲などを鋳造するための溶解炉です。


(訪問時、改修中でした。足場を外した反射炉の画像は静岡県公式ホームページの
「世界遺産登録10周年!未来へ残す韮山反射炉」
伊豆の国市観光協会のサイト
などを見てください)

江戸時代末期、1853年、伊豆下田にて築造を開始し、1857年(安政4年)に完成しました。建造の中心となったのは、幕末期の代官江川英龍(坦庵)と、その後を継いだその子英敏です。1922年(大正11年)国の史跡に指定され、2015年(平成27年)7月、韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されました。

そこに、石碑が建てられています。「碑額」(石碑の上部に書かれた篆書の題字)には「反射爐碑」と載仁親王によって書かれています。

石碑の本文は漢文で三島毅によって書かれています。冒頭は以下のようになっています。

反射爐何鎔銅鐵鑄大砲也創製之者誰坦庵江川先生也先生方幕府恬嬉之世夙察外國競富強遂窺我邊海建議曰國防有三要焉鑄砲一也……

入試問題の漢文とは異なり、正真正銘の漢文なので句読点も返り点も送り仮名もありません。これを解読していく必要があります。書き下し文は以下のようになります。

反射爐とは何ぞや。銅鐵を鎔かし大砲を鑄(い)るものなり。之を創製する者は誰ぞや。坦庵江川先生なり。先生、幕府恬嬉の世に方(あた)り、夙(つと)に外國富強を競いて遂に我が邊海を窺うを察し、建議して曰く、國防に三要有り、砲を鑄るは一なり……。

現代日本語訳をすると、以下のようになります。

反射炉とはなんであろうか。それは銅や鉄を溶かし、大砲を鋳造する施設である。この反射炉を製造した人は誰だろうか。それは江川坦庵である。江川坦庵は江戸幕府が平穏な時期にありながら、諸外国が富国強兵を競い、その流れで日本周辺の海域で日本を窺いみていたのを察知し、幕府に建議して、こう言った。「国防には三つの重要点があります。大砲を鋳造するのが第一で、……」。

この中に難しい語があり、それを調べていく必要があります。たとえば、「恬嬉」は見慣れない言葉です。調査すると、中国の唐の時代の文人、韓愈の「淮西を平ぐの碑」のなかにある

相臣將臣文習熟見聞以為當然

という表現に行きつきます。これを訓読すると、「相臣將臣、文は恬(やす)んじて武は嬉び、見聞に習熟し、以て當然と為す」となり、これは「家臣たちは文官も武官も安穏な空気に浸り、見聞きすることがらに慣れきって、異変の到来を想像もしなかった」という意味とわかります。執筆者の三島毅は当然これを踏まえています。周囲の空気に流されず、国防の重要性を見抜いていた江川坦庵にふさわしい用例と言えます。

その江川坦庵の邸宅跡には韮山反射炉から歩いて行けます。邸宅内はこのようになっており、使用人なども多く、大量の煮炊きが可能な大きな邸宅であったことがわかります。

この江川坦庵は日本で最初にパンを作った人ともされています。食べてみましたが、素朴な「固いパン」という感じでした。

この石碑の文章を書いた三島毅(1831-1919)は江戸時代末から大正時代の漢学者で、二松学舎大学の前身の創立者です。江戸では昌平黌で漢学を学び、東京師範大学、東京大学、國學院大学、早稲田大学でも教鞭をとりました。

碑文の字を書いたのは野村素介(1842-1927)です。彼は政治家としても書家としても活躍しました。
石工(石に字を刻した職人)は井亀泉です。「せい・きせん」と読み、名工として名高いひとです。