■授業での学び
情報社会学科では、コミュニケーションやメディア、社会調査、ジェンダー論、都市論、公共圏や地域政策、情報社会の思想、情報社会の倫理・法律など授業を受講し、社会学、地理学、メディア学、文化人類学、言語学、法学といった多彩な分野について学びました。
入学前はメディアや情報社会に強い関心を持っていましたが、幅広い学問領域に触れることで、当初はあまり関心のなかった分野についても理解を深め、教養を広げることができました。

とくにフィールドリサーチの授業では、浜松市内の複数の事業所を訪問し、インタビュー調査を実施しました。アポイントの取り方から、インタビュー時のマナー、調査票の作成、結果の分析、調査内容の報告までを一連の流れとして実践的に学び、この経験は卒業研究で大いに活かすことができました。また、卒業時には社会調査士資格を取得しました。

授業以外にもさまざまな活動に参加しました。以下では、大学祭実行委員会、情報学部Web制作チーム、珈琲研究会、ガバナンス研究会、りんごラジオでの活動について紹介します。
■課外活動など
1.大学祭実行委員会での活動
大学1~2年生では、大学祭実行委員会の活動に特に力を入れて取り組みました。大学祭開催に向けた準備や大学との調整や交渉を行いました。
大学祭当日はテクノフェスタ(学園祭と同時開催の研究紹介企画)や各学部での保護者向けの催しものなど多数のイベントが行われるため調整が不可欠です。学生支援課のサポートのもと関係各所との調整や交渉を行ったことは非常に大きな学びとなりました。
また大規模行事を学生主体で作り上げた達成感は、何ものにも代えがたいものでした。大学祭実行委員会で出会った友人や先輩、後輩たちとは今でも毎年大学祭の時に飲み会を開催して顔を合わせています。

当時の大学祭委員は2年生までが活動のメインで、3年生以降は引退した先輩として後輩たちをサポートする体制でした。引退後も大学祭への思いは強く、卒業まで助言やサポートを続けていました(現役生の妨げにならないよう心がけていましたが、当時は少し煩わしい先輩に映っていたかもしれません笑)。
卒業論文では大学祭について研究し、戦後の大学祭とその背景にある社会状況や若者文化を外観し、進化する情報社会と若者文化から現代と未来の大学祭について考察しました。
また6校の大学祭実行委員会にインタビュー調査を行い、全国の大学祭の実態や学生文化の多様性について明らかにすることができました。

2.情報学部Web制作チームでの活動
通称「学部Web(がくぶうぇぶ)」と呼ばれており、情報学部公認の学生団体で行事や研究室紹介等の動画コンテンツを作成していました。一部、杉山岳弘研究室のサポートを受けながらも、企画・取材交渉・撮影・編集までを基本的に学生主体で行っていました。
学校行事を取材することも多く、リポートや行事参加者へのインタビューは、いつもドキドキしていました。

講義で学んだ取材時の注意点や編集による印象の違いといった理論を学部Webで実践することで理解を深めることもありました。学部Webでの活動は、メディア関連科目の学びをより深めてくれる貴重な経験でした。(残念ながら学部Webは現在活動をしていないと聞いています。)
3.珈琲研究会とガバナンス研究会での活動

3年生後期からは吉田寛研究室に所属しました。吉田研のゼミ室でもあるガバナンス演習室は、自主ゼミの「ガバナンス研究会」と「珈琲研究会」の活動拠点でもあるため、自然と活動に参加するようになりました。

珈琲研究会では、情報学部棟内での不定期のカフェ開催やメンバーたちとの珈琲の飲み比べ、浜松市内のカフェを訪問するなどの活動を行いました。それまでコーヒーがあまり得意ではありませんでしたが、活動を通じて珈琲の魅力を知り新たな楽しみを見つけることができました。
不定期のカフェ開催は、18世紀ヨーロッパで市民文化を醸成した「カフェ」や「コーヒーハウス」に倣っており、情報学部内に公共的な交流空間をつくることが目的の1つでありました。これも講義で学んだ公共圏やコミュニケーション論の実践的な学びの場でもありました。

ガバナンス研究会(通称「ガバ研(がばけん)」)では、個性的なメンバーによる多様な発表やディスカッションを通じて視野を広げることが出来ました。
またメンバーとは、ガバナンス演習室で映画を鑑賞したり、鍋やバーベキューを楽しんだり、吉田先生に誘われて佐鳴湖に花火を見に行ったりと楽しく有意義な時間を過ごしました。
4.りんごラジオでの活動
ガバナンス研究会は、東日本大震災以降、宮城県亘理(わたり)郡山元町と長期的に関わってきました。研究室配属後に吉田先生に連れられて山元町を訪れた際に「臨時災害FM放送局りんごラジオ」の存在を知りました。大学4年生の夏休みを利用し、活動に参加させていただきました。
夏休みが終わる頃に、りんごラジオの活動は残り半年であることを知り、最後までお手伝いをしたいと思い、合計9ヶ月程活動に参加させてもらいました。高校生時代放送部に所属していた経験を活かし、拙いながらもいくつかアナウンス業務も任せていただきました。
私が活動のお手伝いに入ったタイミングは震災から6年が経過し、道路や建物の多くは復旧していましたが、避難や震災前とは別の場所への住宅再建によってそれまでの人々のつながりが変化しており、地域コミュニティの再建などのソフト面での課題がありました。りんごラジオはどんな小さな出来事も町のニュースとして取り上げ、町民同士を緩やかにつなぐ役割を果たしていました。りんごラジオの存在は町民の新しい繋がりを作る存在になっていると感じました。
また町議会開会中は議会の様子を配信し、議場に来ることが出来ない町民に行政情報を届ける役割も担っていました。

取材を通じて、震災当時の辛い経験を伺う場面もあり、言葉に詰まることもありましたが、災害後の地域や公共性メディアの意義を現場で実感する貴重な学びとなりました。
多分野にわたる授業で培った幅広い視野と、フィールドリサーチや卒業研究を通して身につけた調査・分析の姿勢は、物事を一面的に捉えるのではなく、その背景や構造を意識して考える力へとつながりました。また、大学祭実行委員会や学部Web、ガバナンス研究会、珈琲研究会での活動を通じて、立場や価値観の異なる人々と協働し、調整や対話を重ねながら物事を進める難しさと重要性を学びました。

さらに、りんごラジオや山元町での経験は、仕事や日常生活の中で、社会との関わりの中にある自分の役割や在り方を考え続けるための確かな土台となっています。
こうした貴重な経験を重ねることができたのは、共に学び、一緒に活動した仲間や、温かくご指導くださった教職員の方々、そして地域の方の支えがあってこそであり、改めて深く感謝しています。大学生活を通じて出会った友人、先輩、後輩、教職員、山元町の方々とは今も交流が続いており、そのつながりこそが、私にとって人生の大きな財産であると感じています。