2025年度博物館実習:本企画展『結び −−時の流れ・人の姿―』(会期:2026/01/06~01/27)

開催目的:

過ぎたる2025年は戦後80年を迎えました。ここ浜松市は過去に「浜松大空襲」に見舞われており、本学の浜松キャンパスも、戦争の記憶を各地に残しています。

2025年度博物館実習では、これを機に歴史を振り返り、未来へ知識と思いを受けついでいこうという目的から、浜松キャンパスにおける戦後80年の歴史を改めて調査し、展示を企画いたしました。

 

開催概要:

本企画展『結び −−時の流れ・人の姿―』(会期:2026/01/06~01/27)は、「時間」と「人」の2つの側面から、戦争時代を生きた浜松市の学生たちの姿、浜松キャンパスという場所の記憶を取り上げています。


入口

 

第一章:

第一章は、「時の流れ」。現代の私たちにも身近な「入試問題」や「期末試験問題」の資料を紹介しています。


第1章入口

 


第1章展示 入試問題・期末試験問題(出典:個人蔵)

 

第一章・見どころ:

見どころは、昭和19年の入試問題です。終戦直前の入試問題ですが、「戦争での実戦」を想定した問題が並んでいます。今私たちの身近にある同じものであっても、そこに込められた人々や社会の想いが異なることを体感できるような展示作りを工夫しました。

左右に開いたパノラマ写真のコーナーでは、昔と今のキャンパスの姿を見比べながら、自分自身の目線で歴史を振り返ることができます。


第2章入口

 

第二章:

次は「人の姿」、この土地で築かれた人々の営みをテーマに展示しています。前年度から新たに調査し、旧日本軍が使用していた道具や弾薬箱が見つかりました。実物の展示によって、知識が現実として目の前に迫ってくるのではないでしょうか。


第2章展示 弾薬箱(出典:静岡大学工学部蔵)

 


第2章展示 リベット打ちの鉄骨(出典:静岡大学工学部蔵)


第二章・見どころ:

今回は、資料集めから展示照明の配置まで幅広い作業を学生がおこないました。展示資料が適切に見える明るさや展示の順番、説明文などから皆さまにより深くメッセージを伝えられるよう工夫を凝らしております。実物資料との静かな対話から感じられるものがあるのではないでしょうか。


作業風景①

 


作業風景②

 

まとめ:

今回の調査と展示により、この場所に通っていた若者たちの懸命に生きる姿と、未来へ向けて記録を残すことによる平和への願いが見えてきました。実習を通して我々実習生も、静岡大学に通う学生としてともに知り、これからの学校の在り方を考えていこうと思います。

本企画展は2026年1月27日まで図書館1階ギャラリーにて開催中です。皆さまによるたくさんのご来場を心よりお待ちしています。ご来場のご感想・ご意見も入口のノートに募集しています。

 

ご協力いただいた方々へ:

今回の調査では博物館学芸員実習担当の村野先生、資料をご提供いただいた浜松工業会の方々、展示スペースをお貸ししていただいた図書館のご担当者様をはじめとし、沢山の方にご協力を賜りました。皆様へのお礼をこの場を借りて申し上げます。

2025年度博物館学芸員実習生

鈴木康太
谷口心海

韮山反射炉(s)

静岡県伊豆の国市にある「韮山反射炉」に行ってきました。「反射炉」とは金属を溶かし大砲などを鋳造するための溶解炉です。


(訪問時、改修中でした。足場を外した反射炉の画像は静岡県公式ホームページの
「世界遺産登録10周年!未来へ残す韮山反射炉」
伊豆の国市観光協会のサイト
などを見てください)

江戸時代末期、1853年、伊豆下田にて築造を開始し、1857年(安政4年)に完成しました。建造の中心となったのは、幕末期の代官江川英龍(坦庵)と、その後を継いだその子英敏です。1922年(大正11年)国の史跡に指定され、2015年(平成27年)7月、韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されました。

そこに、石碑が建てられています。「碑額」(石碑の上部に書かれた篆書の題字)には「反射爐碑」と載仁親王によって書かれています。

石碑の本文は漢文で三島毅によって書かれています。冒頭は以下のようになっています。

反射爐何鎔銅鐵鑄大砲也創製之者誰坦庵江川先生也先生方幕府恬嬉之世夙察外國競富強遂窺我邊海建議曰國防有三要焉鑄砲一也……

入試問題の漢文とは異なり、正真正銘の漢文なので句読点も返り点も送り仮名もありません。これを解読していく必要があります。書き下し文は以下のようになります。

反射爐とは何ぞや。銅鐵を鎔かし大砲を鑄(い)るものなり。之を創製する者は誰ぞや。坦庵江川先生なり。先生、幕府恬嬉の世に方(あた)り、夙(つと)に外國富強を競いて遂に我が邊海を窺うを察し、建議して曰く、國防に三要有り、砲を鑄るは一なり……。

現代日本語訳をすると、以下のようになります。

反射炉とはなんであろうか。それは銅や鉄を溶かし、大砲を鋳造する施設である。この反射炉を製造した人は誰だろうか。それは江川坦庵である。江川坦庵は江戸幕府が平穏な時期にありながら、諸外国が富国強兵を競い、その流れで日本周辺の海域で日本を窺いみていたのを察知し、幕府に建議して、こう言った。「国防には三つの重要点があります。大砲を鋳造するのが第一で、……」。

この中に難しい語があり、それを調べていく必要があります。たとえば、「恬嬉」は見慣れない言葉です。調査すると、中国の唐の時代の文人、韓愈の「淮西を平ぐの碑」のなかにある

相臣將臣文習熟見聞以為當然

という表現に行きつきます。これを訓読すると、「相臣將臣、文は恬(やす)んじて武は嬉び、見聞に習熟し、以て當然と為す」となり、これは「家臣たちは文官も武官も安穏な空気に浸り、見聞きすることがらに慣れきって、異変の到来を想像もしなかった」という意味とわかります。執筆者の三島毅は当然これを踏まえています。周囲の空気に流されず、国防の重要性を見抜いていた江川坦庵にふさわしい用例と言えます。

その江川坦庵の邸宅跡には韮山反射炉から歩いて行けます。邸宅内はこのようになっており、使用人なども多く、大量の煮炊きが可能な大きな邸宅であったことがわかります。

この江川坦庵は日本で最初にパンを作った人ともされています。食べてみましたが、素朴な「固いパン」という感じでした。

この石碑の文章を書いた三島毅(1831-1919)は江戸時代末から大正時代の漢学者で、二松学舎大学の前身の創立者です。江戸では昌平黌で漢学を学び、東京師範大学、東京大学、國學院大学、早稲田大学でも教鞭をとりました。

碑文の字を書いたのは野村素介(1842-1927)です。彼は政治家としても書家としても活躍しました。
石工(石に字を刻した職人)は井亀泉です。「せい・きせん」と読み、名工として名高いひとです。