第58回死生学カフェ
テーマ:悲しみをわかちあう
日時:2026年1月24日(土)14:00~17:00
会場: このはな 静岡市葵区安東2-17-27
参加費: 一般 2,000円 大学生以下 1000円( ドリンク・茶菓付)
※おつりが出ないようご用意いただけると助かります。
参加資格: 死生学カフェの理念と方針に賛同される方(本facebook 上で「死生学カフェで大切にしたいこと」をご覧ください。)
問合せ先:dialoguecafeshizuoka@gmail.com
みなさん、こんにちは。年の瀬の慌ただしい時期に失礼いたします。お正月休みにこの告知を読んでくださることを願って投稿します。
前回(10月)の死生学カフェでは、大瀬康子さんをお迎えして、「死産」の経験とその後の人生の歩みについてインタビューしました。そのなかで康子さんは、次のように語られました――「共に泣いてくれたことで、悲しみがわかちあわれた」。
この発言は多くの参加者の印象に強く残ったようで、交流会の時間に、数人の方々から「次回の死生学カフェでは、この発言を掘り下げて探究したい」と声をかけていただきました。それを受けて次回(1月)の死生学カフェでは、「悲しみをわかちあう」というテーマのもと、対話的探究を試みます。
的確な言葉が返ってこなかったとしても、相手が共にいて、泣いてくれると、たしかに私たちは「悲しみがわかちあわれた」と実感します。それはどうしてなのでしょうか? また、かりに相手が涙を落さなかったとしても、「悲しみがわかちあわれた」と感じられる時があります。それはどういう場合でしょうか? 悲しみは、どのようにしてわかちあわれるのでしょうか? 悲しみをわかちあうとは、そもそもどういうことなのでしょうか?
1月の死生学カフェでは、「悲しみをわかちあう」というテーマのもと、以下の2つの問いを囲みながら、参加者それぞれの経験に聴いていきます。
1) 「悲しみがわかちあわれた」と感じられたのは、どんなときか?
2) なぜ「悲しみがわかちあわれた」と感じられたのか?
そのうえで3)「悲しみは、どのようにしてわかちあわれるのか?」という問いをめぐって、対話的探究を試みます。
死生学カフェは2015年1月に創設されました。いよいよ11年目の歩みに入るところです。現在の死生学カフェは、古民家的な雰囲気の落ち着いた会場で、喪失と死を自分のこととして受けとめる真摯な参加者に恵まれ、深く、あたたかい対話が生み出されています。死生学カフェの理念と方針に賛同される方は、どなたでも歓迎いたしますので、ぜひご参加ください。バイオリンの演奏もあります。終了後には交流会もあります。
お一人おひとりとの出会いと対話を楽しみにしています。