リセットします

    「リセットします」の言葉を聞いたとき、世の中に現れたときにすぐに買ってもらったファミコンで、野球や麻雀を夜遅くまでやったことを思い出した。ゲームの中の相手が大きくリードしたときには、これ以上やってもこちらの負けは見えているので面白くなくなり、すぐ「リセット」ボタンを押してEvenな初期状態から再スタートしていた。このボタンは恐るべき威力を持ってそれまでの経緯をすべて無効にすることがこちらだけはいつでもできる。立場は反対ではあるが、みんなで積み上げている積木を、何を思ったか小さな子が「わー」と言って積木を壊してしまって、しょうがないなあと言いながらみんなで最初からやり直すのに似ている。
    新しいことを始めようと言って、まずはプランAからやってみたけれどどうも勝手が悪いので、そこまでやったことは無駄になってしまうけれど、とりあえずそれは置いておいてプランBをやってみよう、ということはある。しかし、これまでたくさんの人たちが関わって作り上げてきてしばらくそれでやってきたことがあれば、これを直ちに止めて私が考えたこれを始めることにしたと言って、多数の人たちがそれはいいと言ってやり方を変えることが可能とは思えない。これまでそのような形になってきたには理由がある。ある人には不十分なことでも、全体から見ればいいやり方に思うからそれに従おう、と思えるようなバランスになっていたはずだからだ。
   NANDフラッシュメモリの発明者である舛岡先生は、コストと性能のバランスされたそれまでの製品を出発点にされ、そこから桁違いに性能を落とすことでコストを下げることのできる新しいメモリ構造を追及された。それまでになかったとんがった半導体メモリをアピールされて、新しい情報端末の出現を可能にした。NANDの誕生によってそれまでのメモリのいくつかは駆逐されてしまうという残念な結果となったが、半導体メモリ全体からみると社会にずっと広がっていったという幸運な結果となった。製品を改良していく仕事はもちろん重要である。この場合、性能の向上とコストの削減を同時に果たせる新しい手段を追及することになる。一方、ブレークスルーには最適化指標を変更してそれに最適な手段の誕生が伴う。駆逐されたメモリから見れば結果としてリセットされてしまったことになるが、全体から見れば生まれ変わって成長を続けたと見える。既存の製品開発を続けながらこれとは別に新しい製品を始めた結果である。リセットは結果であって、それから始まった訳ではない。
   社会や制度の問題を解いていくのに、このようなやり方が可能かどうか。既存の制度は残しておいて、別の最適化指標で別の制度を作り上げ、同じ社会で二つの制度を並行して進めることは不可能だ。XX特区のように社会を分けて、その中では新しい制度で試してみる。こちらの方がいいことが明らかになってきたら社会全体にこの制度をじわじわっと適用する。不利益を被る方が多数なら生活の時定数よりゆっくりした変化で。実験のできる社会問題ならこれが可能だ。沖縄や原発の問題など社会を二つに分けて一方で実験してみることができない問題はどうするか。たくさんの人の生活がこれらの問題に絡み合っているから、ここでも1から0への急峻な解決方法~リセット~はあり得ない。理想の社会を夢みて、そちらの方に少しずつ動かしていこうとみんなで努力を積み重ねていくしかない。
    よく言われるように、社会の参加者が自分の属する社会制度の問題は自分の問題であることを認識して、何が正しい答えかを考えて、その答えに向けて自分のできる行動をすることだ。「リセットします」を聞いて、よく言われることの正しさを認識した。
(2017/12/17)
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