大学論を読む(1)
田中弘允・佐藤博明・田原博人共著『検証 国立大学法人化と大学の責任』 東信堂、2018年7月、3700円、528頁
2004年の国立大学法人化以降、国立大学の教育研究力が、当初の目論見と異なって低下し続けていることが指摘されている。
一つは評価漬けの中で教職員が提出文書作成に追われ、挙句の果て短期的評価が期待されるあまり、研究の長期的持続的視点が欠落しつつある。
もはや科学立国の掛け声はOECD諸国で最低水準の公的経費支出の状況が生まれて久しい。
本書は法人化をまたがる時期に国立大学長を務めた3人の共同作品。わたしもよく存じ上げている方々だけに、本書の詳細な学長経験なしには語られない法人化の問題点と現状への厳しいまなざしはぜひとも多くの大学関係の人たちに読まれることを期待したい。
田中弘允元鹿児島大学長、佐藤博明元静岡大学長、田原博人元宇都宮大学長の「憂憤の記録」(清沢洌『暗黒日記』が最初に出版される時期のタイトル)といってもよいし、最近の政策動向をみるうえで貴重な資料が含まれている。
評者も実は法人化とは官僚統制(官僚経由の財界直轄指示)が厳しくなること、それは他の官庁の規制緩和もまた同じだと論じたのが2000年前後の事であったから、この対策で一層、意を強くした次第である。
もはや大学運営の基礎になければならない自治論さえも事実上ひっくり返され、それ自体、憲法規定にも大きく違背するものだということを改めて知っておく必要があり、下手な学長独裁が横行する根拠もまたまさにこの法人化の産物であることも明白にされている。このこと自体が国民の思想の自由を含む基本的人権それ自体が侵されている今日の政治状況と軌を一にするといっても過言ではないだろう。国立大学法人法では、教授会の設置が義務付けられず、単に部局の教学にかかわる判断が行えるに過ぎず、しかも全学的課題に対しても、学長が求める場合に意見具申が出来るという方向性が明示された。さらに学外者半数の経営協議会が経営に関する事項を扱い、教育研究評議会は教学に関して取り扱うと、本来大学経営と教学は一体であるべきにもかかわらず切断されてしまった。そのうえ学長選考も当初は意向投票権を教職が持っていたにもかかわらず、改正法によって外部者半数以上の学長選考会議が仕切ることになった。こうして大学という研究教育機関にとって最大の運営の自治権は簡単にもぎ取られたということである。さらに大学の全国的評価には有識者の名で、実は大学の専門家よりも幅を利かせている財界人が多数を占めるなど、およそ真に大学のことを熟知せず、財界要望の目からの評価にさえ堕しがちになる。評者から見ると、この点はアメリカの大学の在り方と雲泥の差である。アメリカの方がはるかに自治権が保障されているからである。
何よりも本書の魅力は、痛苦に満ち満ちた体験が随所に吐露されていて、ともすれば無機質な政策の紹介に終わっていないのが何よりの意味があるし、そのうえきちんと直近までの政策動向を冷静に紹介、分析されていることであろう。
(2019.10.23)