大学論を読む(13)『大学沿革史編纂の手引き』

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寺﨑昌男『大学沿革史編纂の手引き』公益財団法人野間教育研究所、2024年3月

本書は大学史編纂の第一人者である寺﨑昌男東京大学名誉教授の編纂マニュアルであるが、同時に大学史編纂がなぜ必要かという根柢的意義からこれを論じるという極めてオーソドックスな「手引き」というには、「原理」とも呼ばせてもらいたい内容をきわめて簡潔明瞭に説かれている好著である。

寺﨑氏には幾度となく、評者自らの大学史編纂方法についてのお教え直接にも、ご著書からもいただいてきた。今回のご著書の中で、大変心すべきこととして、大学史編纂とは、自己評価の意味があるということ、大学が社会的存在としても、これは大変重要なことで、自己評価書であれば、積極的に公表する責務があるということでもあろう。以前は、年史という形で50年とか80年、あるいは100年史という編纂が見られたが昨今は10年史といった短期的な刊行も見られるので、一層自己評価の色彩が強まり、それ自体が重要な意義を有するということだ。それにしても大学史の一環である以上、歴史的、歴史学的手法は不可欠で、担当者、あるいは過去の担当者への聞き取り、オーラルヒストリー的手法が重要であるとともに、基礎的文書資料を精査することは当然必要なうえに、昨今のデジタル行政の支配的な状況では、デジタル情報の集積も求められるということが指摘されている。

まず目次を示せば、内容の概略を把握できるだろう。それは、以下のとおりである。

 

評者が戦後国立大学発足から50年史、その後の10年史、引き続く10年史と、つごう70年史まで積み重ねる責任を負ってきたことから気になることは、一定の過去の歴史的文書ならば評価可能である採否の判断が容易であるのに対して、直近の10年史の場合の苦労は、現用文書であるゆえに採否のチェックが一層厳しく、それにデジタル資料がすべてといってよい状況なので、パソコン上の作業にゆだねることから、実は出展明示が難しい事例が散見される事態に陥ることだろう。第一、歴史家の目では直近の文書であれ、それは広く知られているべきだと判断しても、担当者が、5年以後とかと規制をかけることはままありうるからである。大学行政にはそうした秘匿をすべきことはほぼないだろうというのが歴史家で、かつ役職経験者の目であるが、行政側からは不適当という判断を下すことも一定の合理性に基づくからである。それに資料集編集作業となると、ハードコピーが存在しないために、デジタル情報のハードコピー化が必要になるか、パソコン空間でのデジタルのままでの資料集とするかで作業量が格段の差を持つことである。大学史のとりまとめに当たってきた立場からすれば、えてして直近10年史方式だと、各部局からの原稿集約が容易であり、かつ自己評価書に類似しがちなので、どうも大学史という枠組みとは異質な実感を持っている。確かに私は法人化を前に1999年の大学史とその後2年の時期に大学白書ともいうべき自己評価にあたる文書作成にあたり、その後の十年史を2度(2009年、2019年)取り組む立場にあったが、これらの編集作業ではとうてい大学史とはいいがたい思いを持ち続けてきたのも事実だ。内容的な深さが今一つだし、深くしようとすれば歴史的観点でということになるから容易ではない。

また評者の関心、問題意識からすると、やはり大学は単なる上から目線の教育指導機関である前に、学生と教職員の共同体であるべきだと考えるので、学生の活動を組み込んだ内容を加えたい。それには学生の自治活動、サークル活動、学生寮生活などの多様な面を包含した大学史を目指すべきではないかと考えている。本書ではそれに接近するかケースでは例の大学紛争をどのように描きこむかを指摘されているけれども、大学が大学であるからには、学生の構成員としての意味付けが歴史的に展開されるのがふさわしいと考える。