大学論を読む(2)『「地方国立大学」の時代』

      大学論を読む(2)『「地方国立大学」の時代』 はコメントを受け付けていません

大学論を読む(2)

木村誠『「地方国立大学」の時代 2020年に何が起こるのか』                                   中公新書ラクレ、2019年8月、880円、182頁

 当然、静岡大学と浜松医科大学の統合法人化を「特殊」なものととらえ、本当にそれでよいのかの疑念を感じさせる指摘があります。
 基本的には大学評価にとって、多くの学部を擁しているほうが高いということ、単科大学、少数学部大学は決して強くないこと、少数学部の一橋や東工大が相対的に高いランクにあるとはいえ、執筆者の分析がそれに及んでいない、私の目ではこの二つの大学は旧制高等専門学校以来の破格の教員人数を擁して来たので、教育の十分性が高く、かつそれぞれに多数の教員数をうまく活用して、それぞれの多様な分野と学部等を保有しているので、評価が高いことは確実。
 今から小規模化して、しかも教員人数も多くない地方国立大学の二分割で小回りが利いて評価が高まるなどと考えるのは観念論だろう。
 また、全国の地方国立大学の改革事例が挙げられているが、面白いのは、それぞれ多くの学部があるがゆえに総合的教育システムの導入を大いに図って、学生のニーズにこたえる努力をしっかりやっていることである(新潟、千葉)。このほかにも島根大学等の種々のチャレンジが報告されている。
 後半は、広島大学という「地方国立大学」の挑戦を中心に述べているが、これも実は大いに参考になる。というのは、同大学は大規模ながら、旧制師範学校(旧制初等学校要請)と旧制文理科大学(旧制中等学校教員養成)で破格の教員数を擁してきたはずで、これを実に要領よく活用し、種々の取り組みに成功を収めつつあることが見事に示されている。先の千葉大学もそもそも園芸学部など旧制からの特色ある分野を擁する一方で、多角的な取り組みに大いに役立ってきたのが旧制の各種専門学校の教員数の多さを生かしてきたところにあるだろう。
 以上のように、大学の馬力ある改革が今後とも要請されるとき、小粒化した組織が有利に働く可能性はむしろ弱いとみるのが筋なのであろう。
 これは私の長年の経験や自らの研究開発から見ても同感である。学生たちに多用な情報を提供する点でも多くの専門分野があるほうが、若い知性を強靭にするだろうというのが私の認識でもあるが、進路指導面でも総合性が意識されているのは実態でもある。様々な学生との付き合いができるのは良いと。
(2019年8月28日)