大学論を読む(11)『大学教育の可能性 教養教育・評価・実践』

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大学論を読む(11)『大学教育の可能性 教養教育・評価・実践』

ちょっと古い書物であるけれども、大学や大学史を考えるうえで、基礎的で根本的に認識すべき内容が多く含まれている。

目次をまず示しておこう。

Ⅰ 教養教育の課題

1 授業改革の方略と実践―立教大学<全カリ>の経験を語るー

2 「低年次教育」考-九州大学の学生諸君と語るー

[付]ふたたび低年次教育を考える

Ⅱ 歴史の中で大学の今を考える

<1>改革課題

1 日本の大学―歴史と課題―

2 短期大学のこれからを考える―その歴史と精神を通して―

[コラム]女子大学創設一〇〇年に思う―個性化・生涯学習で道を―

3 「学部」再考―大東文化大学環境創造学部の発足に臨席して―

<2>基準とアカデミック・フリーダム

4 戦後大学と「基準」

5 大学のオートノミーと大学評価―日本教育学会大会シンポジウムから―

[コラム]大学を見る「目」

6 アカデミック・フリーダム・FD・大学審議会答申

[コラム]国立大学の独立行政法人化問題雑感

<3>大学文書館と大学史研究

7 大学アーカイブスと大学改革―回想・状況・意義―

8 大学の年史を作る―見直されるべき意義と効用―

9 一つの美しい記録―『武蔵野美術大学六〇年史』への期待―

Ⅲ 大学教育の現場から

1 教師教育・教職課程の教育と大学改革―教職課程担当教員の立場から―

2 学生諸君に「レポートの書き方」を教えて

3 大学生の「学力」について―立ち枯れつつある「ものを学ぶ」能力―

4 ふたたび大学生の「学力」について―新入生達も”知性“のこわばりと固さ―

[コラム]「評価する側」の悩み

以上のように各大学等での講演のほか、学会でのシンポジストとしての話題提供であったものを取りまとめられた内容からなるが、現代大学問題のほぼすべての課題への見事な言及と論評を集められたという内容から構成されている。初学者であれ、社会の人々がこの書物を紐解けば大学にかかわって、今日いかなる課題があるかを改めて教えられる。かく評する者にとっても大いに啓発される重厚な内容を分かりやすく説明されたと実感させられている。まさに帯に書かれている通り「サバイバルの危機とユニバーサル化を前に、難題解決の途を探る」というにふさわしい。

寺崎氏のお仕事に一貫しているのは、ご自身の教育者としての実践を踏まえての認識の提示からする大学教育のあるべき理想の現実化がよく見えることであり、その上、講演記録であるだけに話し言葉を通じる分かりやすさが見事に示される。

もっとも公刊された時期から見て、当然無理であるが、このご著作に基づいて評者が読み込むべきこととすれば、以下の通りだろう。

実は特に国立大学にあっては、法人化以降、大変な「改革」が行われた。それは管理機構のトップである学長の選任方式で、法人化当初は、教職員の推薦による学長候補者の選定が可能だとされた時期から2014年前後の改変によって、もはや学長選任には学内意向を徴する必要は否定され、学長選考会議にゆだねられ、結果として学内外半数ずつの委員のみによって選定することとされた。これが第一段階とすれば、この前後の学長不祥事が相次いだことや、学内意向との矛盾などが生じたことを理由にしてというべきか、直近では学長選考会議そのものを、選考とともに、大学運営の監査的機能をも付与した組織に変更することとされた。

いずれにせよ、欧米では普遍的な大学自治原則の根幹であるべき総長・学長を学内選任方式が全面的に否定されてしまったことである。これで果たして著者も期待される大学の在り方が保全されるのかには当然の疑問が生じるし、その下での教育研究の意味が問われるだろう。それにとどまらず2022年段階ではついに私学のガバナビリティを問うということから総長、学長選考方法も上部組織にゆだねるなどが仕組まれようとしていることだ。いわば経営権による教学権の圧迫は否定しようがなかろう。こうして国公立のみならず、私学までもが、長い人間の営みの中で鍛えられ、築かれてきた大学自治を弊履のごとく捨て去ることの当否は言うまでもなかろう。これも政治と政治責任になぞらえれば、大学人の在り方が実は問われてきた20年余の動きといえよう。

これらの諸問題については本サイトでも紹介している著者のその後の著作を参考にされたい。