【第180回】名古屋の偉人「伊藤圭介」日本最初の理学博士(植物学者)について

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投稿者: 本多 満   (1971年3月 農学部林学科卒)


今回静岡大学のホームページに農学部同窓会中部支部の担当ということで支部役員からの依頼でエッセイを投稿することになり、伊藤圭介生誕220年事業のことについてお話する機会をいただき、同窓会の役員、会員の皆様に感謝いたします。

伊藤圭介と尋ねると90%以上の人は知らない、誰?と答えが返ってきます。しかし、おしべ、めしべと聞くと小学生でも90%以上の人がこの言葉を使って話をしています。誰が考えたかも知らずに…。私も知りませんでした。

今年NHK朝ドラで放送された牧野富太郎博士の60年前に名古屋で生まれ、伊藤圭介博士は99歳で亡くなりました。 江戸末期から明治中期に日本最初の理学博士として活躍した人です。シーボルト博士から西欧の植物学を学び、日本で植物学の先駆者として活躍しました。また医学を学んだ人もたくさんいます。インターネット検索で詳細を調べてみてください。

今年名古屋東山植物園、名古屋大学等が共催して生誕220年記念事業を開催しました。私はアメリカから誕生した世界的な規模の奉仕団体、ロータリークラブの会員で、この数年東山植物園に桜等の樹木を植樹する奉仕活動を行ってきました。この縁で谷口植物園長(1983年静岡大学農学部農学科卒)から本事業の後援依頼をうけて4か月にわたる広報活動を行ってきました。

伊藤博士についての勉強会、鶴舞公園の伊藤博士像の前にシモバシラ(学名 keiskea japonica Miquel)他の植樹、久屋大通庭園フラリエでのFMラジオでの伊藤博士の公開放送及びミケーレ学芸員(シンガポール植物園所属)のシンガポール植物園と伊藤博士とのかかわりについての講演会を開催しました。この事業に名古屋市内の複数のRCと、RCに関係する高校生、大学生、若手社会人が各事業に参加し、伊藤博士の広報活動を行い、これまでになく沢山の名古屋市民に広報活動ができました。

農学部を卒業して、農学を離れた生活をしていましたが、東山植物園との奉仕活動をしている中で、植物学の先達者伊藤博士を顕彰する活動に携わることができ、少しは農学部にお世話になったことのお返しができたのではないかと思います。

おしべ、めしべを命名した、伊藤博士に少しでも興味が持たれましたら、名古屋東山植物園に『伊藤圭介記念室』がありますので見学していただけたら幸いです。