(以下の記事は、情報社会学科が2学科制の際の【私の卒業研究】です。現在の3学科制の情報社会学科とは扱う内容が一部異なりますが、参考までに掲載します)
卒論の内容を紹介してください。
「在宅介護の実態とそれにともなう介護サービスについての研究-介護者の負担を軽減させる介護を目指して-」というタイトルで、介護問題について論じました。実際に介護を担っている介護者へのインタビュー調査を行って、そこから明らかになった介護の実情をまとめました。

また、介護問題が家族だけでは解決できなくなった原因を社会の変化をたどって探ったり、「介護の社会化」を目指して2000年4月に開始された介護保険制度の問題点を考えました。
情報社会学科の卒論であることを意識して、インタビュー調査、データの収集、解析に力を入れました。
「介護」の問題に取り組んだ理由を教えてください。
私が介護問題を卒業論文として取り上げたのは、祖父を家族で介護した経験がきっかけでした。祖父は病気で倒れてから、安静に送らなければならない療養生活の中で、痴呆症を発症しました。
痴呆症が進行するにつれ、昼夜問わず徘徊するようになり、暴れることもしばしばでした。家族のことが徐々に分からなくなり、突飛な行動を繰り返すようになりました。
その当時、祖父が介護サービスを利用したくても、また体調を崩しても、「痴呆症で徘徊するから」、「暴れるから」いう理由で断られ、祖父を受け入れてくれる病院や施設がなかなか見つかりませんでした。
やっと入院できた病院でも、抵抗し暴れるのと、ベッドから転落するのを抑えるために、祖父は両手をベッドにひもで縛り付けられ、精神安定剤を投薬されてしまいました。
入院後のお祖父さんは?
その入院以降、祖父は口から食べ物が摂れなくなって、排泄もトイレまで介抱してもらえず、おむつが手放せない状態になってしまいました。祖父は徐々に寝たきり状態になり、話し掛けてもまばたき一つするでもなく、まったく反応しなくなってしまいました。
その時の祖父の姿は,まさに「生ける屍」としか言いようがなく、当時高校生だった私にとって、それはショッキングな出来事でした。
その後もずっと入院していたのですか?
病院からは半ば強制的に退院させられ、祖父は複数の病院をたらい回しのごとく、転院せざるを得ませんでした。とうとう祖父を受け入れてくれる病院がなくなった時、私たち家族には、行くあてがなくなった祖父を、在宅介護するしか選択肢が残されていませんでした。
在宅介護では、食事代わりの栄養食の点滴(鼻から通したチューブから直接食道に流し込む)と、おむつ交換が欠かせず、寝返りがうてない祖父の床ずれを防ぐために、数時間おきの体位変換もしなければなりませんでした。主に日中家にいる祖母と母がほとんどの介護を担っており、その負担は大変なものでした。
当時はまだ介護保険も実施されておらず、家族全員で支えあって介護をしていました。祖父は誤って栄養食が肺に入ってしまったことが原因で亡くなりました。病気で倒れてから約5年間の介護生活でした。祖父を最期まで家族で看取ってあげられたこと、家族で協力して介護したことは、今でも誇りに思っています。
しかし、痴呆症にさえなっていなかったなら、寝たきりにさえなっていなかったなら、もっと祖父は長生きできたのではないか、と悔やんでも悔やみきれません。祖父を「生ける屍」にしてしまった病院の介護ケアにも、他に方法はなかったのかと、やるせなさが残っていました。苦しみながら亡くなった祖父の最期が、今も目に焼き付いて離れません。なぜ、祖父は健康的で伸びやかな老後を送ることが出来なかったのかという疑問が、この論文を書くきっかけになりました。
これまでの関連する研究と比較して、K・Yさんのこの論文の長所はなんだと思いますか? また、反省点は何ですか?
介護保険制度が開始されたことがきっかけとなって、介護問題はマスコミなどでも盛んに取り上げられ、さまざまな研究もされています。

例えば、各市町村の行政としての介護問題に対する取り組みや、施設における介護問題を取り上げた研究、介護に関するアンケートや統計の分析などです。これらの研究は社会全体としての介護問題を分析したものが比較的多く、過酷な介護の実情はなかなか見えてきませんでした。
私は実際に介護を担う介護者へのインタビュー調査とその分析を軸に、介護者の立場からの問題を取り上げました。とかく孤独になりがちな介護者の苦労や、劣悪な環境に置かれた要介護者の現状など、介護現場からの声を論文に反映させました。
今までの研究では取りあげられなかった問題も、インタビュー調査から初めて気づいた事も多く、介護者の視点から介護問題を考えることができたと思います。
逆に難しかったことは、テーマが絞りきれなかったことでした。私がこの論文で取り上げた介護者の立場だけではなく、行政の介護保険制度の担当者やケアマネージャー、ホームヘルパー、かかりつけ医など、介護をとりまくさまざまな立場において数々の問題が発生していました。私がインタビューした個々の介護ケースごとも、そうした問題が複雑にからまりあっていました。
それらを解決する有効な具体策をあまり挙げられなかったことが、一番の反省点だと思っています。
調査の過程で学んだことはありますか?
今回のインタビュー調査では、『話を聞いてくれて、どうもありがとう』と、インタビューした介護者から、逆に感謝されたことがとても印象深かったです。介護の辛さや大変さを聞いてもらうだけでも、孤独になりがちな介護者にとっては、わずかながらも気が休まったようです。身近に介護が必要な人がいるならば、どんなささいなことでもかまわないから、力になってあげること、それこそ話を聞いてあげるだけでも、要介護者や介護者の支えになるのではないでしょうか。
論文執筆に際し、苦労したことはなんですか?
多くの文献を読んだりやインタビュー調査を通じて、数多くの悲惨な介護の実情に接するなかで、論を進めるどころか、行き詰まってしまったことが何度もありました。
ある85歳の女性は脳梗塞から右半身不随になり、老人病院に入院しています。女性がおむつを換えてほしいときなどに、ナースコールでスタッフを呼びます。頻繁に呼ぶことがあると、その病院の介護スタッフは『何度も呼ばないで』と怒り、ナースコールで呼んでも無視することがよくあるそうです。
ひどいときには、ナースコールを体の不自由な女性の手の届かない電気スタンドの上部にくくりつけて、わざと呼べないようにしたことがありました。女性の家族が、状態が急変したときなど、本当に必要なときにナースコールが使えないではないかと猛抗議して、やめてもらったそうです。
なぜ、これほどまでに酷い実情なのだろうと、胸が痛くなり、時には怒りすら覚えたこともありました。かといって、感情的に論を進めるわけにはいかず、そのジレンマで苦しみました。今回の論文だけでは、過酷な介護の悲惨さはなかなか伝わらないのかもしれません。
それでも現実を厳しく見据え、分析したこの論文を通じて,わずかながらも介護の実情を伝えられたのではないかと思っています。
この論文の執筆を通して、今後の社会の進むべき道をどう考えましたか?
私の家族がそうだったように、介護による過剰な負担に苦しんでいる介護者たちは、今もなお多く存在していることを痛感しました。
インタビュー調査では介護保険制度の利用状況も含んでましたが、介護者家族の負担を軽減させる「介護の社会化」を実現するには程遠く、むしろ介護者の負担を重くする問題点が数多くあることもわかりました。

その一方で、家族だけではなく、身近にいる人たちや、ケアマネージャー、かかりつけの医師や介護スタッフの存在が、介護者の大きな力、そして支えとなっていることがわかりました。
介護者が介護をがんばりすぎてしまっては、要介護者ともども倒れてしまいます。なぜなら、介護はいつ終わるか分からない、先の見えない長期戦だからです。
これからの介護は、介護者ひとりで抱え込むのではなく、家族や身近にいる人、そして介護にかかわる人たちに相談し、ときには頼ることも大切なのではないでしょうか。介護が必要な高齢者であっても、人生の最後の何年間を楽しく過ごすことできるならば、本人も家族にとっても幸せにつながります。家族の絆と、周囲をとりまく人々の支えと助けが、それを実現する力となるのではないでしょうか。
卒論を書くに当たって、後輩になにか助言はありますか?
いざ卒論を書こうと思っても、どこから書き始めたら良いのかわかりません。ゼミの先輩にも言われたことだったのですが、参考文献はとにかく早めに、たくさん読んだほうがいいと思います。私の場合だと、「介護」をテーマとした文献は膨大で、自分の卒論で使えそうな文献を探すだけでもひと苦労でした。
卒論を書いているときは、まったく書けなくなってしまうか、書きたいことがありすぎてまとめきれないか、いずれかのパターンに陥ると思います。また、論調が脱線しそうになってしまうこともあると思います。そんなときは指導教員の先生に相談したり、ゼミの友達に読んでもらうなどして、助言を求めるのが一番良いと思います。幸い、私のゼミでは比較的みんな研究室にこもって卒論を書いていましたので、いつでも話を聞いてもらえたことや、お互い励まし合えたことがとても良かったと思っています。
私の場合は、インタビュー調査を行なった介護者の方々の話も貴重なアドバイスになりました。
主査・副査の先生の評価はどうでしたか?
介護者の方にじっくりとインタビュー調査を行なったことや、そこから問題点を論じた点は先生方に大変評価していただきました。

ただ、先ほども述べたのですが、私の論文では問題を解決するうえでの具体策が欠けていたことを指摘されました。またインタビュー調査は文章だけではなく、図表を使ってまとめたほうが分かりやすかったのではないかとのお話もありました。まだまだ詰めが甘かったなと反省してます。
卒業後、この論文でまとめたことをどう生かしたいですか?
私たちの世代だと、介護問題があまりピンとこないかもしれませんが、いつかは誰しも直面する問題だと思います。将来家族に介護が必要になったとき、自分には何が出来るのか、この研究からヒントを得ることが出来たと思います。特に介護に関する情報の有無が、介護サービスの質の差に影響をもたらしていることがわかりました。もしものときも臨機応変に介護に対応できるように、これからもこの問題に対しては関心を持ちつづけたいと思います。
情報社会学科で学んだこと・得たことはなんだと思いますか?
教養科目として履修した共通科目でも、情報学部として履修した専門科目でも、幅広い分野で学ぶことができました。所属する研究室を考えるときも、就職活動をするときも、選択肢が広がったため、その時その時の自分の興味関心や希望を十分反映させることができたと思います。
元々私がこの学科に入学したのは、マスコミ関係の仕事に関心があったことが理由でした。入学当初からマスコミに関する授業を履修していたのですが、情報処理に関する科目(プログラミングなど)を履修するうちに、自然とそういった分野への興味がわくようになりました。
就職活動も職種をシステムエンジニアに絞って活動し、内定をいただきました。システムエンジニアを選んだ理由は技術を身につけ、それを仕事として生かせることに魅力を感じたからです。

もちろん文系の学科ならではの科目も充実していました。所属した笹原先生のゼミでは社会学を学びましたが、身近な日常生活から切り離せない疑問を、学問としてじっくり学べたことは、自分にとってプラスになりました。
フィールドワークとして、保健福祉施策が充実していることで全国的にも有名な、岩手県の沢内村で農村地区のインタビュー調査を行なったことなど、ゼミではまさに地に足をつけた研究ができたと思っています。
講義外の活動も充実していました。夏休みには懇意にしていただいている先生と一緒に、奈良県の明日香村でサイクリングをしました。数々の遺跡や古墳を周り、歴史ロマンをめいっぱい満喫したことは、学生生活での一番の思い出になっています。
もし、一部の分野のみ専攻した学科に進学していたら、これほどまで充実した学生生活は送れなかったのかもしれません。それに、私が高校の時に思い描いていた進路とは全く違った進路になったことも、この学科で学んだゆえに選択肢が広がったからだと思います。自分自身の自由な選択によって「広く深く」学ぶことができ、可能性を伸ばすことができるのが、情報社会学科の良さなのではないでしょうか。
指導教員講評
指導教員 笹原 恵
KYさんの卒業論文がすぐれている点は、単なる制度の分析にとどまらず、介護保険を使っている人々、特に介護者(直接介護を担っている人)へのインタビュー調査を通して、介護保険制度の検証を試みた点です。
論文を書くためには様々な情報収集の方法がありますが、彼女が用いたのは「社会調査」という手法です。社会調査は、文献や新聞資料などでは得ることができない、人々の生活実態や意識・考えなどについてのデータを収集する手法で、KYさんは、ホームヘルパーやデイケアなど実際のサービスを利用している人たちに、介護保険に関する情報を十分に得ているのか、また現在利用しているサービスは十分なのか、何がたりないのか、どのような点で苦労しているのかなどについての丁寧なインタビューを行いました。実際に調査に協力してくれたのは20軒以上回ったうちの4家族と、調査ではだいぶ苦労しましたが、祖父の介護を経験した彼女ならではの、「共感性」にあふれた調査だったと思います。
そこで見えてきたものは、情報を得ようとして役所に行ったものの、窓口で「追い払われ」とりあってもらえなかった家族の姿や病院での酷い対応、また自分の仕事の範囲を超えていても丁寧に相談にのっている医師やケアマネージャーの姿など、制度面からは決して見ることのできない人々の姿でした。
卒論の結論部分では、時間的に余裕がなかったこともあり、「家族の負担を軽減させる介護」についての提案という政策的視点を全面に打ち出すことができなかったことが残念でしたが、彼女が調査を通して得た上記の所見はいずれも重要なもので、このような問題状況を描き出したこと自体、高く評価できると思います。指導教員としても何かの形でそれを紹介していきたいと思っています。
調査をするという経験は、彼女自身にとっても貴重な社会経験になったのではないかと思います。この経験を活かして、KYさんらしい生き方をしてほしいと思います。
取材・編集:D(2003/03/8)