研究室を立ち上げてから、有機合成化学、ペプチド化学、光化学を取り入れいた創薬研究を進めてきました。これまでに、「化学選択性を制御する有機触媒」「可視光を利用できる有機塩」「アミロイド結合性分子」などの開発に成功しています。また、HIV治療に向けて、HIVの細胞侵入過程を阻害する機能に加え、中和抗体と併用効果を示す「二機能性HIV侵入阻害剤」の開発にも携わってきました。
これらの研究に加えて、最近はアルツハイマー型認知症などのアミロイド病や、悪性新生物(がん)を対象とした創薬研究をはじめました。特に近年は、医薬分子モダリティとして注目を集めるペプチド性分子を中心に研究を展開しています。
ペプチド化学と有機合成化学の融合:
ペプチドは、微量で強力な生理活性を有するものが多く、標的とする受容体に特異的に作用することから、低分子医薬や抗体医薬の問題点を低減しつつ、同時に双方の優位点を活かせる中分子創薬の核となる分子群です。一方で、ペプチドは酵素によって容易に加水分解されるため、ペプチドはなかなか薬にはらないと言われることもありました。しかし、ペプチドも有機化合物です。我々は、ペプチドが有機化合物である限り、分子を設計・合成する有機合成化学で、この問題を解決できると考えています。
少し前までは、ペプチドやその関連分子を研究するペプチド化学と、有機化合物の新規な合成方法を研究する有機合成化学の間には大きな壁があったように思います。近年になり、その壁に挑戦する研究者が増えたことで、ペプチドを中心とした医薬品化学やケミカルバイオロジーが大きく発展しています。
藤井信孝 教授(京都大学名誉教授)、大高章 教授(徳島大学)、玉村啓和 教授 (東京医科歯科大学)のもと、私たちは古くからこの壁に挑み続け、ペプチド化学と有機合成化学を融合した先駆的な研究を推進してきました。特に、切れるペプチド結合を切れないバイオイソスターに置換する有機化学的手法は、ペプチドの易水解性の問題に応える分子技術として期待されており、現在も私たちの研究室の中心的プロジェクトの一つです。
現在進行中の研究課題:
1.等価性(isosterism)に着目した機能性分子の創製研究
「”似てるけど違う”有機分子を作り、生命現象を科学する」
ペプチド結合等価体は、ペプチドの構成成分であるアミノ酸の側鎖に由来する様々な官能基はそのままに、酵素によって容易に加水分解されるペプチド結合を、非水解性官能基で置換したペプチド結合の生物学的等価体です。ペプチド結合に含まれるカルボニル炭素は、アルデヒドやケトンに比べ、反応性が著しく低いため、ペプチド結合は半減期が約400年とも見積もられるほど化学的に安定であるものの、生体内においてはペプチダーゼやプロテアーゼなどの加水分解酵素によって容易にペプチドカルボン酸とアミノペプチドに分解されてしまいます。
ペプチド結合の加水分解を抑制する手法として、D-アミノ酸や特殊アミノ酸の利用に加え、アミド窒素のN-アルキル化、環状ペプチドやレトロペプチドへの誘導体化が古典的な手法として用いられていますが、ペプチド結合等価体は、ペプチド結合の特徴に着目して精巧な分子設計のもとに開発されたバイオイソスター(生物学的等価体)です。
私たちはペプチド結合等価体のなかでも、基底状態のペプチド結合を炭素ー炭素二重結合に置換したアルケン型ペプチド結合等価体に関する研究を進めています(Amide-to-Alkene Isosteric Switching)。基底状態のペプチド結合では、カルボニル炭素原子と窒素原子が形成する炭素―窒素結合は単結合としてしばしば表記されますが、実際には窒素原子の非結合性電子対が、カルボニル結合の反結合性軌道に非局在化することで二重結合性を帯びており、一般的な炭素―窒素結合に比べ短く、炭素ー炭素二重結合とほぼ同じ長さです。この構造的相同性の高さによって、アルケン型ペプチド結合等価体は生物活性発現に重要なペプチドの全体構造を維持したまま、加水分解耐性をペプチドに付与する分子技術として 創薬研究に用いられてきました。
私たちは、独自の合成法を開発することにより、以下に示すようなアルケン型ペプチド結合等価体を応用したペプチドミメティックの合成研究や応用研究に取り組んでいます。ペプチドやタンパク質の一部のペプチド結合を等価置換することで、元来有する機能を向上させたり、新しい機能を付与したり、その分子が関わる生命現象を制御したいと考えています。
2.HIV細胞侵入過程を標的とした創薬研究
「HIV細胞侵入を有機分子で理解し、コントロールする」
後天性免疫不全症候群(AIDS)は、ヒト免疫不全ウィルス(HIV)が免疫細胞に感染することで、後天的に免疫不全を起こす難治性疾患の一つで、完全に治る治療法は確立されていません。現在、複数の抗HIV薬を組み合わせる対処療法が行われていますが、長期投与による毒性の軽減や耐性ウィルス抑制の観点から、新規治療薬が求められています。
これまでに私達は、厚生労働省エイズ対策研究事業に参画し、共同研究者らとともに、新たなHIV侵入阻害剤を複数創製し、臨床応用に向けた基礎研究を世界に先駆けて進めて来ました。最近では、微量で強力な生理活性を示すペプチドに着目し、UM-25やIC9564をはじめとするペプチド性化合物を基盤とした新たなHIV侵入阻害剤の創製研究をはじめています。これら化合物を医薬品につなげるためには、HIVの易変異性に対応する機能を付与する必要があり、従来とは異なる独創的な分子設計を可能にするアプローチを進めています。
3.新規アゾリウム塩の創製と有機分子触媒としての応用研究
「生体内相互作用を有機分子で再現し、ものづくりへ応用する」
医薬品となる有機分子は、水素結合やイオン性相互作用など様々な生体内相互作用により生理活性を発現します。つまり、より効果的に相互作用させることができれば、さらに強力な医薬品の創製が期待できます。そこで、生体内相互作用を有機化学的に理解するために、新たな触媒として注目を集める有機分子触媒に着目しました。
これまでに私達は、生体内のエネルギー源であるATPの生合成に関わるビタミンB1のアゾリウムカルベンを応用したNHC触媒の開発研究を行い、その構造活性相関を明らかにし、触媒活性を大幅に向上させることに成功しています。さらに、触媒前駆体であるアゾリウム塩そのものに触媒機能があることを見出し、その触媒機能がカチオン-π相互作用にもとづくものであることを理論計算により明らかにしました。現在は、これら触媒を進化させた多機能性アゾリウム塩の創製研究に加え、創薬を指向した新たな分子変換について研究を進めています。
4.秘密の創薬研究
「こんなことができたらいいな」
医薬品や機能性材料などの有用物質は合成化学の発展とともに多様化し、私達の生活を豊かにしてくれています。ただし、デザインした有機分子を自在に作れる効率的合成法は、実は限られています。
そこで私達は、既成概念にとらわれない新たな合成法や、高効率な分子変換を可能にする反応開発に挑戦します!こんなハイリスクな研究を、溢れ出る想像力と創造力をもとに一緒にやってくれる高い志を持った学生を求めています!