大学論を読む(9)『大学改革を問い直す』

      大学論を読む(9)『大学改革を問い直す』 はコメントを受け付けていません

大学論を読む(9)

天野郁夫『大学改革を問い直す』

慶応義塾大学出版会、2013年6月、定価3080円(税込)、308頁

少し古いけれども、本書は、講演や雑誌寄稿文章などで、時々の課題への対応とともに、歴史的制度的変遷にも目配りをした大学論として、それぞれ簡潔で分かりやすい16章からなっている。以下便宜のために目次を掲げておこう。

まえがき

Ⅰ部 改革の流れを読む

第1章 大学教育にグローバル化を読む

第2章 学生生活と教育の変容を読む

第3章 大学の多様化政策を読む

第4章 トロウのユニバーサル化を読む

Ⅱ部 改革を問い直す

第5章 質の保証装置を問う

第6章 入学者選抜を問う

第7章 認証評価制度を問う

第8章 大学院を問う

第9章 建学の精神を問う

Ⅲ部 改革に歴史を考える

第10章「全入」時代を考える

第11章 接続関係を考える

第12章 教養教育を考える

第13章 秋入学を考える

第14章 大学教員を考える

第15章 ファンドレイジングを考える

第16章 教育組織を考える

以上、通覧するだけでも、本書が近代日本大学史の特徴ある展開の上に、いま問われている諸課題に至る議論をしている。ここですべてを目配りよく紹介することは到底できるものではないが、評者の問題関心に即して、大学問題判断の基準のいくつかを提供できればと願っている。

Ⅰ部はとても分かりよい問題が並べられている。逐一の説明は要しないと思うが、学部名称に端的に知られるが、以前は伝統的な2文字学部が当然だった。今は外国語由来のカタカナ付き学部名称や情報化社会対応の情報系の名を監視他学部、それに従来は専門職的分野の名称を持つ例えば看護学部等の新規の名称が増産されているが基本は1991年の大学設置基準の大綱化という規制撤廃の動きの一環ととらえられている。それとともに学際的領域の教育の必要から学際的名称の学部も存在する。評者の言葉をもってすればそれは以前の「高等教育」が近代当初の研究者を基軸とする専門教育から、職業別分野への広がりと、大学のマス化の現象の中で、ニーズの側への対応でもあるのだろう。大学院は出発時典が専門職としての研究者養成から、技術者養成へと変化し、さらに生涯学習への対応も迫られてきたとみる。大学のユニバーサル化は不可避であり、マス化もまた不可避の現実だととらえると大学の多様化もまた不可避で、大学の個性化、種別化も否定しがたいとみる。大学院もまたかつての研究者養成からより専門職人材養成への転換が迫られてきたという。

大学の多様化が実は大学のユニバーサル化(カリフォルニア大学トロウ教授))と結びついていて、旧来の専門性を鍛える学部構成から、多様な職業の必要から設置されることが通常化している。これは専門学校、短期大学の昇格ともかかわってのことである。とすれば旧来の伝統的な学部編成は必ずしも問われなくなってきた。大学の多様化の流れを教育に目を向けた学部の多様性とかかわらせることとともに、大学本体としての設置目標の多様化が問われ、1971年中教審答申がその先蹤だったと氏はとらえる。種別化がこれだ。21世紀のこの間に文教政策で展開されている高度な先進的グローバル研究大学と、一般的教育のための大学、あるいは地域奉仕型教育のための大学という風に個別大学が自ら位置付けよというミッションの再定義に始まる手法は以外にも1971年答申を現段階に展開したものとみてよいというわけだ。

Ⅱ部は、この30年ほどの期間に展開している高等教育政策、とりわけ大学改革政策がどのような問題を取り上げてきたかを点検している。まずは大学教育の質的保証が、従来の大学設置基準による規制から、柔軟化してきたことにより改めて、問われなければならなくなった。入学者選抜制度もまた、大学入試センターという膨大な組織が設置されたことにより、国公私学間の入学条件が不鮮明になった結果、入学者の質を問うことが必要になったというわけである。認証評価制度が必要になったこともおおむね設置基準の規制緩和を生じたことへの対応といえないわけではなかろう。

さらに問われているのが大学院である。旧制帝国大学では学部に大学院が設置されていたが、その他の大学には存在しなかった。ところが、戦後の学制改革にあっても、しばらくは旧制大学に設置され、特定の私学に存在するに過ぎなかった。同時にその組織は学部に上乗せするのみで、特段の組織的意味が加えられたとも言い難かった。1960年代の高度成長期にはこれも一変し、新制国立大学を含め理工系の技術者の需要から、理工系修士課程大学院が続出する。さらに研究者養成の面でも修士課程に上乗せして博士課程設置が進む。1990年代には旧制帝国大学を中心に、大学院大学化も行われる。このように研究者養成と高級技術者養成を軸に大学の中でも特に大学院整備と、学位の多様化が連動して、博士学位の在り方も変わって、博士課程修了に際しての一種のパスポート化としても重要になり、大学院大学化した大学からの博士取得者の急増がそれに照応した職業を提供できる環境は社会に用意されてこなかった。

大学院のもう一つの変貌は、生涯学習社会の到来で、学部段階でも1980年代以降特に顕著にみられてきたが、社会人の再入学もしくは大学院入学であろう。むろん大学院の場合は、スキルアップの学びもあれば、社会人経験を生かしての研究者の道もあるので、ある種の多様化がここでも生じていると見られないわけではない。

この流れの中で大学の特色が問われることが強まり建学の精神が問題となってきた。と言っても国立大学は従来、伝統的に東京大学をモデルに一種の単線的発展を目指してきたといえるので、建学の精神が問われることはなかった。これに対して膨大な学生を預かる私学の側では、そもそも設置当初からその設置者の建学精神が示されてきたことが多いのである。社会もそうした特色の積み重ねを評価してきたといえるだろう。ところが2004年以降の国立大学法人化以降、国立大学といえども従来の型通りに生きる道がふさがれ、特色づくりが要請されてきた。

Ⅲ部では、改革に歴史を問うというタイトルがついている。やはり大学が高等教育機関としての位置にありつつもいわば高等普遍教育的位置に立ち始めるのは、おそらく1960年代末の大学紛争が起点だったように感じる。まさにあの紛争こそは大学の大衆化が急速に進行した最初の時期であり、学生の教育要求内容に大学側が十分にこたえられる状況ではなかったと記憶する。まずは「全入」問題を皮切りに検討される。これ自体は必要なことだろう。「全入」とかかわって無視できないのが高等学校教育との接続の問題だ。端的に言って、これも大学のユニバーサル化によって生じている問題ではあるが、特に入学生が親の意識も手伝って、早期専門教育導入要求を持っていたことも一つの機運となって、1991年の大学設置基準の大綱化に始まって、1964,65年の時期に国立大学で一斉に教養教育の特定的なやりかたとしての前期2年間の「教養課程」、教養部等の廃止に打って出たことも、ある意味で接続問題を深刻にしているということも否みがたいだろう。第一次阿部内閣の時期に導入しようと動いた秋季入学生問題を歴史に問えば、実は日本の初等教育から大学教育に至るありかたが明治期はもとより昭和初期まで、秋季入学生制度があったと論じて、それが欧米と同等になるからという政策論の薄っぺらさを指摘している。大学教員も同質性がかなり薄らいできたこともこの間の動向だろうという。確かに1982ン年の大学教員資格に「釈迦的経験」という新しい物差しが導入され、そもそも専門教育の伝統的な在り方と異なる即戦力的な教育が横行してきたという点もあれば、若手教員の多数が任期制で腰を落ち着けて研究教育に当たる余地をなくしていることもあげられよう。国立大学が報じ9ンかに伴い、国家の財政支援の先細り化をやむなき事態ととらえ、文科省自ら外部資金の調達の旗を振ってきた。しかし現実は厳しい。なぜか?それは日本には寄付文化が育っていず、しかも財界人にもそのような公的活動への大規模な応援、支援を行うことによる誇らしさを考える文化が育っていないのだという。確かに評者も当初からこのような政策論の危うさを認識してきたが、天野氏のいずれかといえば文化論的認識とは多少異なり、日本では財界人は結局のところ俸給社員の出征の巣f型でしかないので、彼らはいずれ劣らず法人に寄与することのみに関心があり、欧米財界人のように姿の見える資産家として形成されていないことが大きいと考えられる。このようなことは文科省が旗を振る前から分かり切ったことであるのに、なぜそのような政策を展開したかということだろう。要するにこの国家が教育投資に重きを置かないという致命的あり方が特にこの数十年続いてきたということだろう。何事も競争で処理可能という単純な論理では現実社会はうまく操縦できないはずだろう。

最後に教育組織について検討されている。それによれば、1973年の筑波大学方式で喧伝された教育と研究の分離という方式が、その後長く定着してこなかった事実。しかし2000年前後から旧帝大系でも九州大学のようにその分離方式が現実化してきた。氏はその根源的理由を、学際を含む新たな研究教育の課題の必要に求められているように見える。

むすびー雑感

以上、おおざっぱに概観してみて気づくのは、天野氏の叙述は極めて冷静に大学の現実的展開を簡潔に示しているという点では、おおむね過不足はないといってもよいのかもしれない。しかし重要な問題点がある。それは特に末尾のほうで展開されている教育組織と研究組織の分離が果たして教育組織としての大学に実は適合的、合理的な在り方かを一切指摘していないことだろう。評者の認識ではそうではない。実際に教育実践者としての体験からして、大学はやはり教育と研究の一体的組織であるがゆえに若い学生たちにきちんとして研究成果を享受し、彼らの成長の過程を熟知し、さらに課題としてそこから提起されるべき教育研究の新たな挑戦を見出してゆくという筋道は実は揺るぐことのない根底にあるのが大学だということではないのか?さらにこの組織形態論は学問思想の自由を社会に広める橋頭堡としての大学にとって根幹的に問われるべき大学自治の基盤であろう。

本書を通読してみて改めて指摘したのは、この結びの冒頭にも述べたように大学の制度的組織的変化を説明するのは良いとしても、その根底に置かれるべき大学教育研究組織のあるべき姿を明示しない点が最も不満に読んだ。本書の根底にあるべき大学哲学を語ってもらいたいというのは望蜀の観というのだろうか?