大学論を読む(8)『大学研究の六〇年』

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大学論を読む(8)

 

寺﨑昌男『大学研究の六〇年』

評論社、2021年4月、定価2750円(税込)、224頁

本学は、先生とは1996年、静岡大学史編さん事業の開始以来、大学の歴史をどう纏めるべきかのお教えを受けてきた。後に大学教育のあり方に関してご講演を戴いた2008年の時期にもお招きしている(大学教育学会中部支部)。

むろんその成果が果してご期待にお応えできたかについては大いに恥じ入るところである。とはいえ戦後国立大学の発足からの50年と、その後の2冊の10年史を纏めたことはひとえに先生の学恩に因ってきたことは明らかである。

先生もこのご著書で述べられているように、大学における教育学の主たる研究対象が何故か初等教育研究を対象にしてきた長い過去の中で、先生達が開拓された大学研究がやはり参照されるべきお仕事であり続けてきた。

これほど大学教育が問われている状況が30年以上続いているけれども、教育学の専門家はほぼ初等中等教育や障害児教育に特化してきたために、大学政策論で検討すべき課題を考えた際に参考に出来る人たちが居られず、結局、寺﨑先生に依存してきたのも事実である。それぞれの大学人がその専門分野に即して大学教育論を考えてよいというわけだ。

先生のお仕事は直近の大著『日本近代大学史』にも見られるとおり、大学の教育と研究の根幹に存在すべき大学自治と学問の自由、教授団の自由の歴史を縦線にしつつ、横軸にその時その時の大学の事実や文教政策、とりわけ高等教育政策の中での大学を浮き彫りにされてきた。

今回のご高著はその根底に広がっている先生自らの生誕からの半生と共に展開されてきた教育史的アプローチによる大学史の展開を、自らその改革に係わりいくつもの東京大学を初め大学史の叙述に当られてきた歴史が簡潔に展開されている。

教育史の立場からも大学アーカイブズの必要性と実践、それに大学が大学であるためには教職員、学生達の大学へのアイデンティティ確立に不可欠の自校史教育の必要性を具体的に展開されてきた。

私なども1994年前後から研究の必要でアメリカの大学のアーカイブズに接近することがあったときに驚かされたのが、何と創立期以来の学籍簿やカリキュラムの変遷を把握できる資料群が実に丹念に収拾されていたことであった。

日本の大学も寺﨑先生の強調されてきたこれらの努力が必要だし、それなくしては大学改革や身近な学科の改革の課題さえきちんと見定められないだろうという風に思う。

さて本書のあらましを語るうえで最も有効なのが実に平明なその目次が有益であろう。

はしがき

Ⅰ 高校まで

誕生から小学校卒業まで/戦時下の国民学校 中学校へ/分化した進学キャリア/新制高校の新しい息吹/新憲法の学習と自治会活動/教育への関心が芽生える―ローマ字運動と子ども会指導

Ⅱ 大学進学から研究者の入り口まで

東大への進学/教育学部という選択/大学研究に目をひらく―休学が与えてくれたもの 研究対象としての「大学」/卒業論文と修士論文/東大スタンフォードプロジェクト―教育改革研究への参加/海後・寺﨑『大学教育』の出版まで/けわしかった博士論文への道 博士論文のテーマ選択/史料と視角

Ⅲ 大学・高等教育研究の時代を迎えて

大学史研究セミナーの発足と大学紛争以降/広島大学大学教育研究センターの発足 日本教育学会の大学教育実践研究/東京教育大学の廃止と筑波大学設立問題/野間教育研究所から立教大学へ/大学・学校沿革史の収集/立教大学の刺激―教師修行と学部・大学院の授業/学生たちの意識と教育活動/東大教育学部時代―大学院の指導を中心に/学会での鍛錬と史跡旅行/東大生たちと受験体制/沿革史編纂への参加1―立教学院・東京大学/沿革史編纂への参加2―東洋大学・大学基準協会/二つの共同研究―戦時下教育研究とハウスクネヒト研究/「文検」研究への気付き/専門学と教育の接点を探る

Ⅳ 大学と教育環境の激動のもとで

立教大学全学共通カリキュラムの編成/求められた覚悟/産業界の教養教育要求 FDとSD―誰の義務か/桜美林大学院における職員教育の体験/大学アーカイブスの設置活動と全米アーキビスト協会大会への出席/自校教育の試み/大学運営への参加と外部評価活動

Ⅴ 大学教員として教育と向き合う

さまざまな学会を運営して―教育史学会、日本教育学会、大学教育学会、中央教育研究所のこと/講義への工夫/附属学校校長として―教えてくれた不登校の生徒たち/「昭和」の終わりの日に/小学校教科書をつくる

おわりに―謝意をこめて

本文関連年譜

以上、各章ごとにそこに含まれる内容を示す事項がそれ自体で、本書の内容のインデックスとしての役割を担っている。寺﨑先生が教育分野に深く関心を持たれる契機が高校時代の子ども会へのサポートだったというのは興味を抱かせる。この書物を読むと、このことが大きくその後の人生に影響を与え、東大入学で周囲の人々が当然のごとく経済や法律分野への進学を期待していたのを振り切って、教育学部への進学を決められたというのは、なるほどそのことが、高等教育の在り方への研究にまい進される原点というのは大変納得させられた。しかも戦後改革の息吹がまさに強烈であった時期のことゆえに、指導を受けられた海後宗臣氏の高等教育研究にならって、戦後改革期の史料を探査して、お二人の共著として『大学教育』を世に問われたという。高校時代までの恵まれた環境が、有益だったこと、その後家業の破産の苦難の中で大学の休学も余儀なくされた中で、おそらく先生の教育観が鍛えられていったのであろうと想像するに難くはない。

先生の目は単に戦後教育改革にとどまることなく、その淵源に当たる近代日本の高等教育の史的展開への幅広い視野を持たれて、ついに明治期からの西洋からの輸入型大学教育制度について深く研究され、むしろ戦後改革が突如として占領体制の下で創出されたというよりも、戦前以来の高等教育改革への提起を受けた部分があり、これを踏まえて南原繁東大総長らが奔走したことである。当初は旧制帝国大学を大学院大学とする構想もあったということはその後の展開にとって興味深い。

本書でも指摘されているところであるが、戦後、昇格して新制大学として発足した国立大学に対して私学が先んじて戦後制度に移行すべく私学で大学認可要求がみられ、実際にも1949年の新制国立大学に先んじて東京と関西でいくつかの私学と女子大が発足したことも注目されるところである。むろん本書では、そうした先生の研究の到達が表明されている。それにしても史実史料に基づき、先生が展開された戦後教育改革が時に高等教育の面で、多くの戦前の日本での取り組みを踏まえていたことを明らかにされた前著の『日本近代大学史』を簡潔に説明されていて、重要だと感じた。

それは教育基本法(旧法)にも貫かれていたという風に認識される。これらの先生の研究成果から見えてくるのは一知半解の戦後占領体制で押し付けられた教育改革といった言説がいかに薄っぺらなものであるかがわかる。改めて思い返されるのが1980年代後半、中曽根康弘首相の肝いりで発足した臨時教育審議会で、首相の意図による、教育基本法の抜本的改正を図る目的だったにもかかわらず、実際には専門家の検討で、基本法が当時の多くの哲学者や教育学者、専門分野別の見識が含まれているがゆえに特段の変更の必要なしと認識されたことの意義は大きい。その点、2006年の安倍晋三首相の時期に行われた教育基本法の抜本改正がいかに政治的にゆがめられる教育の国家主導の突破口になってしまったことが悔やまれる。