【第135回】私と茶道

      【第135回】私と茶道 はコメントを受け付けていません

投稿者: 池田 武(昭和47年 工学部精密工学科卒)


学生時代は、弓を引いていましたが、就職した会社に弓道部はなく、町の道場に通うには仕事との両立が難しいと思い、続けるのを諦めました。そんな時、茶道なら精神的に弓道と通ずるところもあり、週1回の稽古なら何とかやれそうだと簡単な気持ちで入門することになりました。元々、日本の文化や歴史に関心があったので、お茶の世界にも興味がありました。稽古にも慣れてくると茶道を取巻く歴史、文化、人物などの裾野の広さが少しずつ見えてきました。

1.茶道(ちゃどう、当時は「茶の湯」)の歴史
喫茶の文化は、鎌倉時代に禅宗寺院で生まれ、やがて公家や武家社会に広まり、室町時代には、中国渡来の唐物(からもの)と呼ばれる茶道具を使い、格式のある茶会「書院の茶」が催されるようになりました。一方、室町末期に僧の村田珠光が書院の茶とは真逆の侘茶「草庵の茶」を行うようになり、堺商人を中心にして盛んになってきました。侘茶では、精神面が重視され、道具も高麗茶碗(朝鮮の日用陶器を茶碗に使用)、和物(楽焼、萩焼、備前焼など)の陶器や竹製の道具(花入、茶杓など)に美を見出して使うようになり、千利休により侘茶が大成されました。「茶の湯」は、信長、秀吉などに庇護され隆盛を誇りました。

2.茶道は日本の総合文化
精神的には、禅の流れがあり、茶室の床の間には禅語の軸が主に掛けられます。この軸が茶席のテーマとなります。茶碗、茶入(茶を入れる小さな壺)、茶杓(茶を掬う匙)などの道具も茶席のテーマに沿った物を取り合わせ、茶会を開いた亭主と招かれた客で話が取り交されます。亭主は、お客の趣向や自分とお客との関係を考え、どのようにしたら喜んで貰えるか思案して準備を進め、茶席でもてなします。招かれた客も亭主の想いを汲んで対応します。まさに茶会は、何をしたら相手が喜んでもらえるかをお互いに推し量りながら進める「忖度」の世界です。従って、亭主、客共に禅語(墨蹟)及び禅に関する知識、茶室の作り、露地(茶室の庭)、茶碗、茶杓等の諸道具(陶芸、漆芸、竹芸)、お茶を取巻く歴代の人物、歴史、和歌などの一通りの見識が必要で、どれだけ造詣が深いかで茶席の話も深まります。この様に茶道は、日本の総合文化であり、それぞれの分野を広く深く学べる場を提供してくれます。

3.竹芸に進む
私は、侘茶の象徴とも言える竹製の道具に興味を持つようになり、趣味として20代から自己流で作り始めました。その後、定年を前にライフワークとして取組むことを決意して師を求め、銘竹店探しに奔走しました。師と銘竹店に恵まれ、今は独り立ちをして、花入、茶杓などを中心に制作を続け、個展も年に1,2回開いています。茶会に出掛けた時、席に私の作った花入や茶杓が使われることもあり、竹芸の道に進んだ喜びを感じます。
今は、自分が技術者であったことを忘れるほど、茶道、竹芸の道に入ってしまいましたが、花入や茶杓を作ることは、同じモノ作りであり、子供の頃から工作が好きで工学部に進んだことが形を変えて生きているのだと思っています。