【第210回】静岡大学に学び、静岡大学で教える

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投稿者:加藤 竜也(平成9年度農学部応用生物化学科卒)


私は静岡大学農学部応用生物化学科を卒業し、現在は母校の農学部で教員として、教育・研究・大学運営に携わっています。かつて学生として通った大学で、今は学生を迎え、送り出す立場にいることを、時折、不思議に思うとともに、ありがたく感じます。

私が在学していた頃と比べると、テクノロジーは大きく進歩し、新たな発見によって教科書の記述も次々と更新されてきました。講義で扱う内容や研究の手法、求められる水準も大きく変化しています。その一方で、学生が物事を自分で考え、その考えを文章にまとめる場面で、以前より苦労しているように感じることがあります。もっとも、私たちの世代も先輩方から同じように見られていたのかもしれません。それでも近年、その変化をとりわけ強く意識するようになりました。

その背景の一つに、生成AIの急速な普及があります。生成AIはさまざまな分野で活用され、研究においても欠かせないツールになりつつあります。これまで困難だった解析や作業を可能にし、科学技術の進歩を加速させる大きな力であることは間違いありません。学生も、レポートの作成、英語論文の読解、研究発表資料の準備など、多くの場面で生成AIを利用しています。

問題は、生成AIを使うこと自体ではなく、生成された答えを吟味せず、自分の考えとして扱ってしまうことです。考える過程までAIに委ねれば、思考力や文章力を鍛える機会は失われます。教員である私自身も生成AIを活用していますが、これは使い方次第で、思考を広げる「薬」にも、思考を止める「毒」にもなる道具だと感じています。

だからこそ大学には、生成AIを遠ざけるのではなく、問いを立て、得られた答えを確かめ、自分の言葉で組み立て直す力を育てる役割があるのでしょう。卒業後に社会へ貢献できる人材を育てるために必要なのは、AIを使わない力ではなく、AIを使ってもなお、自分の頭で考え、自分の責任で判断する力だと思います。

学生として静岡大学で学んだ私が、今は教員として次の世代の学びに向き合っています。時代とともにツールは変わっても、学ぶことの根幹は変わりません。母校で培った「自ら問い、自ら考える姿勢」を、これからの学生にも受け継いでいきたい。卒業生の一人として、そして教員の一人として、そう願っています。