投稿者:山下 徹(1978年3月 人文学部法経学科経済専攻卒)
7月の終わり、不覚にも腰を痛めてしまった。40年ぶり、記者時代以来の経験だ。酷暑の中、「圧迫骨折の再発」と診断され、腰にコルセットを巻いて痛みと戦う。思うように動けず、例年になくテレビで甲子園の高校野球を見続けた。腰の痛みと不安に苛まされている身では思わず、負けているチームに肩入れをする。
頑張れ! ピンチを乗り切ろうとする必死の選手たち。重圧と戦う気持ちを少しでも楽にしてあげたいと願う。選手全員が心を一つにして励まし合い、チームを形作ってきたのではないかと。
思えば平和もそうだ。平和とは、誰かがどこかで活動して作っていくものではない。平和を願う一人一人の心が有形、無形の力となって作り上げていく。「人はなぜ戦争をするのか」。永遠なる重い問いだ。心理学者のフロイトは、理論物理学者のアインシュタインとの往復書簡の中で、「一人一人の文化的な成熟が戦争を抑制する」と綴っている。一人一人の平和への思いが、命や尊厳を奪う戦争を拒絶する土壌作りになると。平和を築くとは、人(ひと)一人の生きようとする権利(人権)を守ることだと言っているのだ。
1954年3月1日、太平洋ビキニ環礁で、アメリカの水爆実験に遭遇して被曝した第五福竜丸。焼津港に帰ってきた漁船に最初に乗り組み、死の灰を分析したのは静岡大学のチームだ。「主権在民」「基本的人権」を柱とする今の憲法のモデルを作ったとされるのが、鈴木 安蔵 静岡大学名誉教授。平和を考えるきっかけは身近にある。
8月15日、81回目の終戦の日。腰の痛みを気遣いながら平和を願い、テレビの前で正午から1分間、静かに手を合わせた。
