【第31回】命と仕合わせ

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投稿者:三島 文夫(人文学部 法経学科 3回卒)

私は、県庁を退職し、今は、静岡県肥料商組合へ勤めています。日頃思うことは、ここを退職したら、どうして生きていこうかしら、ということです。
7月のお盆の日曜日、お寺さんで、法話を聞く機会がありました。大分の病院の院長で田畑正久さんという方です。浄土宗の熱心な信者でもあります。死には、四つの死がある。一つは「心理学的な死」、一人息子が交通事故で死んでしまった。それ以来何をする気力も起きない。二つは「社会的な死」、親族、友人誰も訪れてくれない、周りの人ともしゃべらない。三つは「文化的な死」、食べては寝、寝ては食べ、心の潤う会話はない。四つは「肉体的な死」、これは、医学的な死です。

私の妻の母は、老人ホームへ入所していましたが、今年の6月、97歳で亡くなりました。ここ数年は、時々ホームへ訪れても、車いすにもたれてじっとしているだけで、食事もスタッフに食べさせてもらう状態でした。肉体的な死に至らなくても、年をとって、大変失礼な言い方ですが、他の三つにおいて既に死んでいると思われる方が大勢いらっしゃいます。これも年を取れば致し方のないことです。

私は、静岡県ワンダーフォーゲル会という山歩きの会に所属しています。会員は、450名です。70歳前後の会員がほとんどです。15の支部で構成されており、各支部ごとに、毎月1回は山へ登ります。参加者は、15名前後です。計画を立てる人、ただ参加するだけの人、それぞれの立場でできる限りの協力をするというのが会の基本です。今年の8月は、立山へ登りました。70歳を過ぎた方も数名いらっしゃいましたが、元気に登ることができました。

人間にとって一番大事なものは何でしょうか。命か仕事か。死が四つあるなら、命も四つある。肉体的な命が残ったとしても、残りの三つの命がなくなったとしたら、まさに生きる屍です。三つの命を生き切ることが大事なのです。「幸せ」とは「仕合わせ」のこと、これは、「仕事に出会う。」ということなのです。何も役所や会社に勤めることだけが仕事ではありません。様々な繋がり、絆の中でそれぞれの役割を果たしていく、仕事に出会うことで、三つの命を生きることができるのです。