危機方言の記述

張 盛開

私は昔から方言に興味があり、大学の卒業論文では平江方言の概説を書いた。その際、文献を通して、平江県に客家語があることを知った。大学卒業後の2004年3月に私の客家語探しの旅は始まった。

地元の事情に詳しい親戚から思村郷百福洞に客家人が住んでいることを知り、思村郷役所を尋ねた。そこで塘坊村、李固定という名前が挙がった。李固定氏を探して、塘坊村に向かった。14時ごろにやっと目的地にたどり着いた。李氏に話を伺ったらなんと李氏自身が客家人であった。そこで私は人生初の客家語調査を始めた。調査が終わる直前に、李氏の伯母何意英氏が来訪し、少し話を伺った。何氏は「次回来たら、客家民謡を教えてあげる」と約束してくれた。

塘坊村に居住している客家人は客家語と地元の方言、平江県思村方言のバイリンガルである。平江県思村方言は私の話す三陽方言と同じく平江県の標準方言である城関方言の下位方言である。ゆえに、私たちの会話はすべて平江城関方言である。

最初の調査は興味半分であった。その後、調査に行かなくてはと思いながらも自分の修士論文、博士論文の主要研究対象ではないため、客家語の調査には行けないままであった。

10年過ぎた2013年、私はやっと塘坊村を再訪する機会ができた。昔とは大きく変わり、道路は整備され、かつて四時間かかった道が一時間でついた。その日10時ごろに塘坊村に到着し、何意英氏の息子李献章氏に出会った。母親より前に私が調査を行なったことを聞かされていたとのことで、当方の用件をすぐに理解してくれた。そこで何意英氏はすでに10年前に他界したことを聞かされた。あいにくその日、従兄の李固定氏も留守であった。私の困惑を見て李献章氏は出かける予定をキャンセルして、終日私の客家語調査の協力をしてくれた。

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その後、今までの調査資料を整理し、学会発表や論文投稿を控え、2014年再び塘坊を訪ねた。思いもよらないことに50代だった李献章氏は亡くなっていた。このことを聞くと、なぜか昨年の調査の時点で既に予感していたかのような思いが湧いた。一年前の調査で私がとった録音やビデオが彼の残した最初で最後の客家語資料となったのである。高齢者に依存するこの種の調査では、ありがちなことである。私は一日も早くこの塘坊客家語の記録を完成しなければならないという使命を改めて感じた。

今回は時間に余裕を以て、一週間ほど滞在し、塘坊村のことも詳しく伺うができた。

塘坊村の客家人は自分たちの客家語を「広東声」(広東訛)と呼んでいる。その家譜にも広東省から移民してきたことを記載しているという。塘坊客家人は李氏と曽氏の二族がメインである。曽氏一族は自分の祖先は「広東省興林県九把禾村李桃樹下小屋樹場」から移住してきたとはっきり記憶している。李氏一族は自分たちの祖先はまず広東から江西に移住し、約200年居住したあと、平江塘坊に移住したと主張している。

2004年の調査時には客家語を話す人は何十人かはいると聞いたが、2013年の調査時は話者は20人以下になったという。2014年の調査時には地元に居住している話者は10名となっている。二、三十年前は生産隊の会議で客家語を使用していたという。しかし、今は客家語話者二人が出会ってもほとんど客家語を使って話をしないという状態になってしまった。2003年より調査を始めて以来、私の調査対象は二人亡くなった。村ではほとんど客家語を聞くことがなくなり、消滅危機に瀕しているこの塘坊客家語を記録し、伝えていくことに私は重大な責任を感じている。

私の専門は漢語方言の記述である。漢語方言だけでなく、今は方言が消えつつある時代である。私のできることは消える前の方言の姿を記録し、資料として保存できるようにすることである。さらには方言話者の方言使用意識を高め、方言に親しみ大切にされる環境作りに力を入れたい。

更に詳しい情報は拙稿をご参照されたい。

張盛開 2014「平江塘坊客家語研究」東京外国語大学記述言語学研究室編『思言』第10号

張盛開 2015 「消えゆく言葉を追いかけて」静岡大学人文社会科学部 アジア研究第10号:29-40 Asia-st-zsk