研究テーマ(日野)

消化管は,食物を消化・吸収することで栄養素を体内に取り込み代謝を維持して生命を保つ重要な器官です。一方で,食事成分や腸内細菌などの外的環境要因に対して恒常性を発揮するための様々な機構を持っています。消化管の恒常性維持機構は健康・疾病とのかかわりで最近特に注目されており, 消化器系疾患だけではなく, 肥満やメタボリックシンドローム, 精神疾患など, 非消化器系疾患とも関係していることが知られてきています。こうした背景には, 食品成分や腸内細菌と消化管バリアの複雑な相互作用が存在しています. この消化管バリアは, 消化管腔内に膨大に存在する腸内細菌や食事抗原などの外的抗原に対する生体防御機構であり, 腸粘膜を被覆するムチン層や腸管上皮細胞のタイトジャンクションなどの物理的な防御機構, ディフェンシンなどの抗菌分子からなる化学的な防御機構, そして, 末梢の70%ともいわれる大量の免疫細胞が形成する複雑な免疫応答によって形成されています.

 

食物繊維をはじめとする難消化性糖質摂取の生理作用として,所謂,「おなかの調子を整える」つまり, 「普通の状態」をつくりだす作用が広く知られています。こうした食品成分による作用は,食品成分の物性や発酵による消化管内腔の物理的・化学的環境の変化, または, その化学構造そのものを宿主が感受し,局所的・遠隔的な生理応答が惹起されることで発現します.

私たちの研究グループでは,主に食物繊維や難消化性糖質などの食事成分がそれらの物理化学的性質や発酵性を介して, 「どこで」, 「どのように」恒常性維持機構,特に,消化管バリアに働きかけているのか,「食事によってどのように普通の状態がつくりだされるのか」に興味を持って研究を進めています.

 

食物繊維摂取による杯細胞の増加機構とその意義

腸管バリア機能の破綻は,粘膜免疫系の制御異常を引き起こし,炎症性腸疾患,食物アレルギー,経粘膜感染症など多種多様な疾患の発症や進展に関わることが指摘されています. 腸上皮の杯細胞は,糖タンパクであるムチンを主成分とする粘液を産生・分泌しています. この粘液は,腸上皮を覆って非特異的バリアの役割を果たすとともに,IgAの貯留層としても機能し,食事抗原や病原菌の侵入を妨げています. したがって、粘液量の変化と腸管バリアの健常性との間には密接な関係があります.

当グループでは, これまで 食物繊維 (DF)の小腸ムチン分泌促進作用およびその生理作用ついて実験動物を用い,以下の知見を得ています.

Ⅰ. DFの摂取は,小腸管腔内での嵩(不溶性DF)または粘性(水溶性DF)に比例して,腸上皮細胞の代謝回転と連動した杯細胞の増加をもたらすことで,小腸ムチン分泌量を増大させる. つまり基礎分泌を亢進すること(Tanabe et al. J Nutr, 2005; Morita et al. J Nutr, 2006; Ito et al. J Nutr, 2009)。

Ⅱ. ペクチンは,上記の法則性において例外的で,物性(粘性)に関わらず,杯細胞数の変動とは無関係に小腸ムチン分泌量を増加させ, 空腸 Muc2 発現量の顕著な上昇をもたらす. つまり制御性分泌を亢進すること. このペクチンの作用は培養細胞(HT-29MTX杯細胞株)でも認められる (Hino et al. J Nutr, 2012; Hino et al. J Nutr, 2013, Hino et al. JNSV, 2020).

Ⅲ. 消化管で分泌されるムチンは内因性発酵基質となり, 腸内細菌叢の形成やその代謝産物である短鎖脂肪酸を介して制御性T細胞やIgAプラズマ細胞を増加させること. つまり, 腸管免疫系の恒常性の維持に寄与していること(Hino et al. J Nutr, 2020).

現在はこれらの知見を踏まえて,DF摂取により杯細胞が増加するメカニズムおよびその生理作用について継続して研究を行っています. DF およびその発酵代謝産物がムチン分泌上昇を介して腸管バリア機能を高めることの科学的根拠を明らかにすることは,DF の新たな栄養生理的意義の確立に寄与すると考えています.

 

食事が腸内細菌叢ならびに宿主の腸管免疫系に与える影響

腸内細菌叢が代謝産物の産生を介してその機能を発揮することにより宿主の恒常性維持やその破綻に関与することが急速に明らかになってきており,宿主-腸内細菌叢の共生関係を適切に維持することの重要性はより一層増しています. 現在, 様々な食物繊維や難消化性糖類が特定保健用食品や機能性食品として提案・上市されています. こうした動向は,食物繊維や難消化性糖類が腸内細菌の発酵基質となること, その発酵代謝産物が宿主に対して様々な生理作用を示すという知見に根ざしています. 一方で, 私たちが普段摂取する食物繊維や難消化性糖類の多くは, 野菜や果物に由来するものです. しかしながら, こうした食品の小腸での消化吸収率, 言い換えれば, 大腸への流入形態(栄養素の量・大きさ etc.)は, 加工方法などによって大きく異なると推定されます. こうした違いは, 栄養素の質・量や供給スピードの違いを介して, 腸内細菌叢の構成や代謝産物,  ひいては宿主の健康に大きな影響を及ぼすと考え研究を進めています.こうした知見を積み上げていくことで,  腸内細菌の恩恵を最大限享受できる食事戦略を構築に寄与できると考えています.

 

食事タンパク質が腸内細菌叢ならびに宿主の腸管免疫系に与える影響

腸内細菌叢が適切に維持・増殖するためには炭素源となる食物繊維や難消化性糖類だけではなく, 菌体そのものを構成する窒素源や他の栄養素も同時に供給される必要があります。つまり, ヒトの健康においてバランスの良い食事が求められることと同様に, 腸内細菌叢の恒常性を保つためには, 植物性または人工合成による多糖類のみに限られていたプレバイオティクスだけでは不十分だと考えています。この研究テーマでは食事タンパク質の違いによる大腸へのタンパク質の流入量や質の違いが腸内細菌叢やその代謝産物に及ぼす影響を明らかにすることで, 腸内細菌叢にとってバランスの取れた食事とは何かを明らかにするとともに, 食事タンパク質が腸管免疫系の恒常性に与える影響の理解に寄与することを目的としています。

 

 

 

野菜の粒子径が腸内細菌叢および短鎖脂肪酸産生に及ぼす影響

先に述べたように, 食品の 大腸への流入形態はその加工の仕方で大きく異なると推定されます. 腸内細菌叢は栄養要求性, 資化性, 増殖速度などの異なる多様な細菌種の集合体ですが, 大腸流入物(食事残渣)の変化という外環境の変化に対しては集合体として対応することで一定の恒常性を保っています。しかしながら, 集合体としての姿は一定であっても,個々の菌の性質は異なるため, 環境の変化に対して素早く応答するもの, 時間をかけて対応するもの, 対応できないものなどがいます. つまり, 私たちが日々の食事で口にすることで起こる様々な外的変化のたびに腸内細菌叢はリバランスを繰り返していると考えられます. したがって, 適切に腸内細菌叢を維持していくためには何を食べるのか? (食物繊維の種類や構成糖の違い)だけではなく, どのように加工したものを食べるのか?ということも重要になってきます. この研究テーマでは, モデルケースとして食事中の主要な発酵基質である野菜の粒径の違いが, 腸内細菌叢やその代謝産物である短鎖脂肪酸の産生に及ぼす影響について, ヒト便の嫌気培養法により検討しています. こうした研究をとおして, 食品の調理・加工の違いによって腸内細菌叢がどの程度影響を受けるのかを明らかにし, 腸内細菌の恩恵を最大限享受できる食事戦略の構築に寄与することを目的としています。